南玉造字宮田台一一三六番地で、宮田の水田を前にした丘の中段に祀られている。
周囲は古い城址を偲ばせるような地形で、屋敷跡と思われる平地も残されている。台上の畑には古墳らしい塚も現存している。
この社は参道左側に住む石井家の先々代が、霊感を得て勧請したものであるといわれている。そこに自然石様の板碑があり、次の刻字が見られる。
(表)為悦衆生故 天下泰平
南無妙法蓮華経春勧請石井稲荷大明神
現無量神力 五穀成就
(裏)明治二十一年九月匝瑳郡木積村平山金右衛門 年六十四歳奉勧請
そして台石には、八カ村十八名の氏名が刻まれている。
境内の石燈籠一対に昭和十一年の刻があり、石造手洗い二基は無刻である。
板碑は、大正十三年に石段を奉納したときのもので、裏面に三十二名の氏名がある。
拝殿右手に上屋付の馬頭観世音塔が四基あり、うち二基は明治三十九年と昭和三年のもので、他の二基は無刻である。