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玉宝山竜華寺

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 字谷(さく)一四四七番地にある。本尊は、仏性院日奥筆の曼荼羅で、得城寺隠れ庵に秘蔵されていた不受檀林の書物とともに移されたものである。
 明治政府によって不受不施派の禁令が解かれた明治九年四月から、それまでひそんでいた法中信徒らが起ちあがり、中村檀林の並木の坊を譲りうけて明治十二年に秋山五郎右衛門家の土地に建てたもので、備前国金川の龍華教会妙覚寺を本山とする玉造教会所がその前身である。そして昭和二十七年に一山として独立し、玉宝山竜華寺と称した。当初は同信二十数戸であったが、現在は八十戸を数えている。
 竜華寺所管の墓碑・史蹟は広く点在しており、境内には、沙門日量によって明治二十一年十二月に建てられた初代教妙院日耀と六聖人(法難)の碑がある。
 そして、同じく西側に秋山華嵓詩碑、富澤義昌頌徳碑、富澤桂助(雪堂)碑が並び、東側には医学の黒須巳之吉翁碑などが建っている。
 院外には、六万部塚・日賢聖経塚・上人塚(中村檀林講祖日円墓)・諫迷論(かめろ)様(玉造檀林始祖日遵墓)・前野墓地・小玉御塚などがあるが、いずれも不受不施派の史蹟である。