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高田の浅間神社

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 字内谷七九二番の一に、高田と並木の両集落間の水田中に独立した塚状の小兵がある。これがそのむかし「中村十二景」の一つ、名勝亀山である。その頂上からは、多古・笹本・吉田の間にわたる水田が一望でき、栗山・借当両川の合流が手に取るように見える。
 丘上への参道は東方の小道を辿るわけであるが、根が重なり合っている両側の木々を手摺代わりにしなければ登れないほどの嶮しさである。里人の案内がなくてはその道を見出すことも困難である。
 丘上は二反歩ほどの平地で、椎などの常緑樹に覆われているため、下から見ることはできないが、そこに亜鉛葺きの社殿が建てられている。里伝によると、千葉胤貞の創建ともいわれ、古くは野新田村(中村新田)の産土神であったようである。今は高田総代によって管理運営され、お備社の行事も行われている。
 昭和三年の報告書には、次のように記されている。
 
   千葉県香取郡中村大字南中字内谷
               無格社 浅見社
一、祭神 木花咲耶姫命
一、由緒 天正十四年(一五八六)月日不詳創立
     香取郡南中村日本寺十六代化主日俊勧請
一、社殿 本殿
一、境内 二百七十八坪
一、氏子 一九四戸
一、氏子崇敬者ノ過去ヨリ現在ニ至ル状況
  往古ヨリ浅間ト称シ維新ノ際無格社ニ列セラル。本村大字南中字内谷ノ高台ニ鎮座ス。古昔ヨリ村民ノ崇敬厚ク、今日ニ至ルモ尚劣ヘス。
一、社殿営繕及境内整理状況
  社殿営繕ノ際ハ、区長組長協議ノ上出願、許可ノ上枯損木ヲ伐採シ修理ヲナスヲ例トス。
  境内整理ハ区長管理ノ許ニ植林其ノ他整理ヲナス。然シテ永久保存ニ務ム。
一、崇敬心涵養ノ為メ殊ニ努力シツヽアル事項及其ノ経過
  本社ハ大字南中ノ南方字内谷ノ頂上ニアリ、前面水田数十町歩ヲ直下ニ瞰シ、区ノ病門ニ位ス。区民ノ守護神トシテ常ニ崇敬篤ク、年々旧正月十五日区ニ於テ奉謝祭礼ヲ挙行シ区民ノ安寧・福利増進ヲ祈願シ居レリ。
  因ニ記ス。維新以前ハ名主・組頭・百姓代氏子総代トナリ正月十五日奉謝祭ヲ挙行シ、「ウチイタ」ト称スル盃盤ヲ置キ左右ニ三人宛六人一組トシ列座シ、六回入替リ乾盃ヲ上ケ、翌年ノ来到式ヲ了スルヲ例トス。今尚此ノ如シ。 (以下略)
 
 祭神の木花咲耶姫命は、天孫降臨の神話に有名な瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻で、古来から天空に近い所にあって、その地域を守護する神として信仰されている。
 勧請した日俊は、日本寺の十二代化主も務めた修善院湛恵日俊のことである。いうまでもなく日本寺は檀林であり、僧侶たちの勉学の学舎であった。そこに学んだ学僧たちが中村十二景を詠じた詩の中に、「堂前白桜」「士峰(富士山)遠眺」「峰山(妙興寺)秋月」などとともに「亀山落霞」と題する次の詩がある。これは即空という学僧の作であるが、年代は不明である。
 
    亀山千載得佳名
    松樹春来正向栄
    薄罩烟霞青筵上
    無辺好景発吟情