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妙見社

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 旧檀林当時の建て物の一つである。講堂左手を奥の方へ進むと、梅・桜などの木立を過ぎたところに玉垣に囲まれた社がある。垣内正面の社の額には「妙見七面宮」の字が金色に輝いている。本殿右側に宇賀明神、左側に薬師如来があり、まさに神仏混淆時代の名残りである。
 法域鎮護の神として祀られたものであろうが、妙見尊は中世の支配者千葉一族の氏神で、各村々に必ずといってよいほど祀られており、当寺域内にも明治初年のころまでは三カ所ほどその社があったという。
 七面様は、身延山に化身の岩が祀られている日蓮宗の守護神・七面天女である。この二神の鎮座あるのが当社である。
 側神で右の宇賀明神は、生産の神といわれる稲荷神社の主神である。左の薬師如来は、除病・安楽の尊といわれている。
 本殿内には、妙見尊を中心にして右に鬼子母神、左に七面大明神の尊像が安置されてあり、棟札の表には「南無妙見大菩薩 正東山日本寺北山 妙見宮常住 南無妙法蓮華経 初転法輪守護 元禄十丁丑歳(一六九七)十月良日」。
 そして裏には「妙見宮助力施主 知足院日進聖人 安全寺是通 圭潤日体 寿遠日覚通遠 唯誠日詮 通光日浩 弁恵日〓 幸運 覚玄日了 心妙日具 瑞応日感 瑞遠日遊 了応 元禄十年初転法輪衆中六十九人 指黄金五両為永代修補之助者也 於駿河国岩本山書之」と書かれている。
 この社の周辺には多くの奉献物があり、社前にある一対の石燈籠には、それぞれ「七面大明神 妙見大菩薩御宝前 下総国中村学室 寛文第十庚戌年(一六七〇)三月二十八日」、「八万法聚常夜燈 沙門某為先考妣 刻石燈寵堅于宝蔵前又為之銘曰 法 斯立 慧燈増光 永除迷晴 普照十方 享保九年甲辰(一七二四)五月日 五十八嗣観具院日諦(花押) 燈明功徳主 誠信院日善聖人 慈父洞松院長林日授居士 慈母円受院妙要日行信尼 総下州中村檀林正東山日本講寺」の刻文がある。
 薬師堂には、大小二個の鰐口と銅製の花挿しがあり、大鰐口には「奉献 薬師如来宝前 天保十三寅(一八四二)四月智見納」、小鰐口には「天保九年戊年(一八三八) 新田重左衛門納之」、花挿しには「中村檀林食堂什物 宝暦八戊寅(一七五八)六月日 寺納所造立恵明」と、それぞれ刻まれている。