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稲荷社

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 妙見社の玉垣に沿って左右に幾つもの鳥居が続き、その奥の南側に豊田稲荷、北側に岡田稲荷が鎮座している。この岡田稲荷が例年三月二十日に「二の午(うま)祭り」といわれる大祭を行い、植木市などで賑わう社である。
 旧暦の時代には、二月最初の午の日に催される松崎神社の例祭を「初午」、この社の祭礼を「二の午」と呼び、近郷近在はいうに及ばず、遠方の親類縁者から一般の参詣人まで多数の参詣があり、ために境内・参道は動きもとれないほどの混雑であった。近年は、露店が出て植木市の開かれることは往年のとおりであるとはいえ、その規模については惜年の情を禁じ得ないものがある。
 右二社の間に建つ一棟には、奉納された狐の焼き物が納められているが、その数の多さはいまさらながら檀林の歴史の遠さ、深さを思わしめるものである。
 岡田稲荷社の右手に、一見溶岩と思われる一メートルほどの岩石が、台石の上に丁重に安置されている。これには何の刻字もない。古老によると、この石は「えいきよう石」といい、檀林が大火に遭ったとき、伏見稲荷の狐がこの石をくわえて飛んで来たため、当稲荷は火災からまぬがれた。このことによりこの「えいきよう石」を祀るようになったということである。
 稲荷社周辺には、その象徴である鳥居と狐ばかりでなく、燈籠その他石宮が多数ある。
 県道多古・八日市場線に面した一の山門前に三メートル余の石柱がある。これは、北中谷津生まれの実業家渋谷嘉助翁(別項参照)が両親の墓所をこの寺域内に造ったときに寄進したもので、次の字が読み取れる。「旧中村檀林正東山日本寺 大正八年十二月 第三三二世日淵代 建立寺渋谷嘉助 東京 優婆塞七十一老 柳 伊東茂敬書」。