境内の坪数は五二五坪といわれ、堂宇の一つに妙見社が祀られている。千葉氏一族の氏神であることはつとに知られているが、大檀越千葉胤貞がその武運を祈念したものであろう。棟には同氏族の家紋である九耀星が付されている。
妙見社前・山門右手に拝殿造りの七面堂がある。本尊は七面天女で、身延山久遠寺の鎮守として日蓮の高弟日朗が七面山に祀って以来、同宗の守護神とされている。堂前の鰐口は天明七年(一七八七)に村人が寄進したもので、幟も保存されている。
妙見の左側にある小祠は、火災盗難除けの神で知られる古峯神社の分社で、氏子は毎年三名の代参人によって古峯本社(栃木県)のお札を受けるならわしになっているという。
山門前の石塔には、次のように刻まれている。
「南無日蓮大菩薩 五百遠忌巨榮山二十六世湛解院日勝代造立 後五百歳中 廣宣流布 惣檀中 安永七戉戌歳(一七七八)霜月 本願人 宗言 東谷六兵衛 甚右衛門 仝人妻 谷嘉右衛門 西谷武右衛門 東谷伊助 宮藤兵衛 町喜八 芝伝治郎 町 利兵衛 仝四郎兵衛 奥甚左衛門 東谷七兵衛 芝徳兵衛」
これは、日蓮の没後五〇〇年になろうとするとき、その回向のために建てた題目碑である。
本堂内陣には本尊の釈迦牟尼仏をはじめ、一塔両尊四菩薩七体・日蓮聖人像・鬼子母神像・妙正天女像・清正公像などが安置され、日蓮聖尊定大曼荼羅がある。
境内には歴代住職ほかの墓地があり、承応(一六五二~五四)、万治(一六五八~六〇)年代の石塔が多く見られる中で、次の三基の板碑(いずれも室町時代のもの)にはこのように刻まれている。
板碑一
右妙 第三年也
南無多宝如来
(天蓋)南無妙法蓮華経 (蓮座)
来
応永九年(一四〇二)七 (月) 日
板碑二
南無上行無辺行菩薩 右志者為悲母
南無多宝如来 法真比丘尼十三
南無妙法蓮華経 年成仏得
南無尺迦牟尼佛 道乃至法界
南無浄行安立行菩薩 平等利益而已
応永十四天(一四〇七)八月日
孝子〓(等)敬白
板碑三
長禄五年辛巳(一四六一)七月十九日 妙 法
大持国天王(不動種子) 大廣目天王
南无日蓮大 妙佛
南无上行无辺行菩薩 妙円
南无多宝如来 鬼子母神 日栄 妙
南無妙法蓮華経 日 (花押) 日
南无 迦牟尼佛 十羅刹女 日 妙
南无浄行 日円 祐
大毘沙門天王(愛染種子)大増長天王 日 妙善
日 妙
妙祐
この板碑の年号「長禄」は四年の十二月二十一日までで、「長禄五年」とは改元した「寛正二年」のことである。金石文や古文書には、改元後も以前の年号を使う例はよく見られる。
なおこの板碑は、もと東谷東福寺にあったものであるという。