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神域の小宮・建造物

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 次は、建造物・奉献物についてその文字を辿ってみたい。
 まず本殿についてみると、その棟札に、
 
    (表面)
  維時嘉永第六龍集癸丑冬十月吉辰上梁宝 
  大持国天王(梵字) 大廣月天王
  南無妙法蓮華経 [伊弉諾尊 天照大神 蛭子尊 先職〓鳳 伊弉冊尊 日諱尊 素盞嗚尊 玉舎城日祥]
  大昆沙門天王(梵字)大増長天王
   敬白仙静院嗣仕運尚日宏並南北氏子中拜首
    (裏面)
   旹   棟梁西谷  儀兵衛     木挽横宿  億右衛門
  嘉永六龍舎   宮  平左衛門       宮  五左衛門
  癸丑冬十月   北場 金左衛門       横宿 官兵衛
  廿四蓂上梁   新田 六郎兵衛       芝  七右衛門
       南郷 名主 平山三左衛門   組頭 波木芳右衛門
          〃  平山新左衛門      佐藤新左衛門
       北郷 名主 平山庄左衛門      飯田佐右衛門
          〃  押田平兵衛    組頭 平山惣右衛門
       和田廓名主 大倉五兵衛       小川甚右衛門
          組頭 宮内常右衛門      行方太右衛門
                         佐久間嘉兵衛
 
とあり、これは嘉永六年(一八五三)改築に当たっての棟札である。
 本殿の右壁には「文久元歳 辛酉(一八六一)六月  迸代氏子中 石工川口七左衛門」の文字が見られる。
 続いて奉献物等についてを、年代の古いものから記すと、次のようになっている。
 
 石燈籠一 「奉寄進六所大明神御宝前 元禄九丙子(一六九六)三月大吉日 香取郡千田庄施主中村町氏子」、「奉納御宝前 寛政九丁巳年(一七九七)九月吉日 施主大坂屋嘉兵衛」
 石燈籠二 「献燈仙静院嗣法運尚 (花押)」、「献燈旹嘉永六龍集癸丑季(一八五三)冬吉辰 奉納石燈籠一対 寄主柴田長太夫」
 板碑一 表に題目が刻まれ、「安政四丁巳(一八五七)六月 再興主運尚日宏(花押)」
 板碑二 表に題目と六神名を刻み「天下泰平五穀成就 一天四海皆逼妙法 御領主御武運長久 郷内施主現安後善 現住操渕日利(花押)」
 石造手洗い(銅葺上屋あり)「奉献旹文久元歳辛酉(一八六一)六月良日 顗選日光(花押) 当石願主蘆間浄徳 舊石願主宿太郎右衛門 同谷仁左衛門 南北氏子中」
 石燈籠一対(高さ三・五メートル)「奉納御神燈 明治二十三年寅十一月当村願主柴田長太夫 (他に文章が刻まれているが判読不能)」、「奉納御神燈 維時明治二十四年九月 世話人平山三左衛門 渋谷精一郎 波木市平 小川忠丘衛 飯田宇左衛門 行方三之丞 飯田周助 並木三之丞 飯田縫右衛門 並木幸太郎 押田兼吉 萩原芳雄 飯田長右衛門 柴田半助 人名彫刻寄附多古町石工川口七左衛門 本願主柴田太治右衛門(以下寄付者全員の氏名が刻まれている)」
 角柱「六所大神 延喜式内」。裏面に「奉納大正二年六月二十八日 中村芝柴田長太夫 押田啓蔵代 多古町石工川口廣三郎〓」
 
 この角柱にある「延喜式内」の刻字のことから、延喜式内社について簡単に補説する。
 平安初期・延喜五年(九〇五)の詔勅によって編修作業にとりかかった延喜式という国家律令の施行細則のうち、その神名帳に登載されている神社を延喜式内社といい、施行は冷泉天皇の康保四年(九六七)からで、全国で二、八六一社、下総国に一一社ある。ここに「延喜式巻九・神祇九・神名上」より、下総に鎮座する神社を記載して参考としたい。
 
  下総国十一座 大一座小十座
   香取郡 一座 大  香取(カトリ)神宮
   千葉郡 二座 小  寒川(サムカハ)神社
             蘇賀比咩(ソカヒメ)神社
   匝瑳郡 一座 小  老尾(オイヲ)神社
   印旛郡 一座 小  麻賀多(マカタノ)神社
   結城郡 二座 小  高椅(タカハシ)神社
             健田(タケタ)神社
   岡田郡 一座 小  桑原(クハハラ)神社
   葛餝(カツシカ)郡 二座 小  茂侶(モロ)神社
             意富比(イフヒ)神社
   相馬郡 一座 小  蚊蝄(ミツチ)神社
 
 他の奉献物に唐獅子、「六所大神由緒」の表題と『日本地理志料』からの引用文を刻んだ板碑、表忠碑、改築・整備の記念碑などもあるが、ここにはその記載を省略する。