字大鯉一四二七番で集落の北端になり、栗山川沿岸の水田中に突き出た丘の上にある。坂並の鎮守で、明治の『神社明細帳』には次のように記されている。
千葉県管下下総国香取郡中村北中字大鯉堺
無格社 八幡神社
一、祭神 誉田別命
一、由緒 不詳
一、社殿間数 間口五尺 奥行四尺
一、境内坪数 弐百拾六坪
一、信徒人員 弐拾人
明治四十二年四月一日、同所妙見社(祭神天御中主命)を合祀。
このように、道祖神の東側にあったといわれる妙見社の合祀も記されている。社前に木造の鳥居が四基あり、うち一基は朱塗りである。石の手洗いには「文政五壬午(一八二二)二月吉日 願主五十嵐平左衛門」。石燈籠があるがそれには寄進者などの刻字はない。境内社として一社祀られているが、疱瘡の神といわれているその石宮には、「 正大明神 文化十二乙亥(一八一五)一一月吉日 当村若者中」とある。