字谷津一一二五番の二にある。この集落はその字名が示すように、東西にまたがる台地の中を旧街道が南北に走り、その両わきに民家があるが、その東側台地へと通ずる坂道を登ったところに当寺がある。『中村寺院明細帳』には
千葉県管下々総国香取郡中村北中字谷
浄妙寺末
日蓮宗 妙観寺
一、本尊 釈迦牟尼仏
一、由緒 不詳
一、堂宇間数 間口九間 奥行七間
一、境内坪数 三百弐拾坪
一、檀徒人員 百五拾弐人
とあり、由緒は不詳となっているが、当寺に残る過去帳には「当山開基実相院日義聖人 安元戊子年八月 七十九歳」(注、この年号・干支に疑問あり。「安元」とすると一一七五~一一七七年であり、「戊子」を採ると一一六八年か一二二八年、またはこれに六〇年を加えたいずれかの年になる)。「当寺ハ万治二年(一六五九)ノ創立ナリ、時ニ檀中ハ三戸アリシノミ」と草創を明記してあり、『日蓮宗寺院大鑑』に「大観には万治元年(一六五八)二月八日の創立。開山実相院日義とある」と書かれていることと、おおむね一致している。
また、同過去帳冒頭にある「関東法華寺学校歴代集」と題する項には各檀林の能化の名が記され、一般的には隠されている不受不施派の聖人名まで明らかにしている。その檀林名は、飯高村妙雲山法輪寺(飯高檀林)、上総国小西妙高山正法寺(小西檀林)、下総国中村正東山日本寺(中村檀林)、同国松崎法喜山妙講寺(松崎檀林)、同国玉造妙法山蓮華寺(玉造檀林)、同国野呂長崇山妙興寺(野呂檀林)などである。
さらに欄外には、宝永二年(一七〇五)二月十九日夜西谷で火災があり、檀林・妙福寺・仏光寺・東福寺および同隠居所・東西小路農家など七十余軒が焼失したときの模様や原因などとともに、天明七年(一七八七)に檀林が再度の火災に遭った事も記されている。