高皇産霊社
当社についての古記録は見当たらないが、ここに一通の報告書がある。
拝啓、去ル一月十六日附ノ御照会ノ件左ニ御回答申上候間、此如得貴意候也
昭和三年一月二十三日
右区長 並木政吉
氏子惣代 並木長次郎
鎌形弥十
三枝桂次郎
社掌松崎重雄殿
記
一、従来ヨリ毎年陰暦一月十五日集合礼拝シ居ル。
二、営繕ニハ常ニ心懸ケ、逐次茅屋根ヲ亜鉛葺ニスル計画ナリ。境内ハ夏期一回必ス草苅ヲ行イ、空地ニハ苗木ヲ植込ム事ニ勤メ居ル。
三、涵養ノ為メ児童ノ主ナル者ト青年団員ハ、常ニ神社ノ周囲ヲ掃除シ、其往復道路ノ手入レニ努力シアリ。
四、崇敬心ハ従来ヨリ神社モ寺院モ混合ノ旧慣ナリ。殊ニ奉社(ビシャ)氏神祭典ニ至ル迠僧侶ノ列席ナリ。臨機改ムル方針ナレトモ困難ナリ。(以下破損)
江戸時代は前代に引続いて神仏混淆の時代であり、一般的に寺院が神社を管理し祭祀についてもその支配を受けていた。明治八年に神仏混淆の禁止令が出されたのであるが、ことに神主の常住しない神社にあっては、旧習から抜け出すことが難しかったであろう。
当社は、いわゆる村の鎮守神として崇敬され、祭神は高皇産霊命で、妙見尊・稲荷大明神・古峯神社が併祀されている。
なお妙見尊は、中城主中村但馬守の守護神であったとも、また同城主の鬼門除けとして当地に祀ったものであるともいわれている。
さらに、『中村神社明細帳』には次のように記されている。
千葉県管下下総国香取郡中村南借当字台
無格社 高皇産霊神社
一、祭神 高皇産霊命
一、由緒 寛永十年(一六三三)正月十五日創立ニシテ 村内衆庶ノ信仰ニ依ッテ本村東方ノ高丘ニ勧請シ今社則是也
一、社殿間数 間口三尺 奥行三尺
一、拝殿間数 間口弐間 奥行壱間
一、境内坪数 弐百廿四坪
一、氏子戸数 廿七戸
境内には、樹齢八〇〇年ほどといわれる椎の巨木をはじめ、古木うっそうと茂り神域の尊厳さを示している。正面の鳥居は厳島神社のものを真似た造りになっている。本殿軒下には竜吐水(雲竜水ともいう明治初期の消火器具)に用いた大盥が置かれ、右奥に古峯神社、左奥に稲荷大明神が祀られている。
拝殿前に石燈籠が二対あり、一対は昭和初期に、他の一対は並木貫一翁が米寿を記念して近年に寄贈されたものである。手洗石が一基あって「天明六丙午(一七八六)四月吉日 佐原村 佐藤半兵衛」の刻字が見られる。