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小宮・石造物

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 境内の西方には急斜面が迫っているが、その中腹に「お破黒大明神」と「妙勝大善神」が祀られている。文政九年(一八二六)ごろに建立されたものといわれ、共に歯の守り神・疱瘡の厄除け神として知られるもので、村民の信仰深いものであったが、昭和四十七年秋、当地方一帯を襲った大風雨による山崩れのため、両神の建造物は大破し土中に埋没してしまった。幸いにして両御神体は掘り出すことができ、一時本堂内に奉安し置かれたのである。
 その後、現住存雄師および檀頭・世話人の尽力によって両社再建の事業が進められ、昭和五十七年暮れに落慶の式典を行うことができた。総工費約五四万円は檀徒の喜捨をもって之に充て、祖先の信仰を後世に伝える社として立派に復興することができた。
 寺宝としては、日蓮真筆といわれる弘安二年(一二七九)九月二十一日授与の曼荼羅があって、身延山四十世円通院日輪による宝暦三年(一七五三)の裏書きがある。水戸城南隠士本住院日永の曼荼羅もあり、これは宝暦四年(一七五四)のものである。この他、前記日忍筆の妙見大菩薩像一幅に加えて、稲荷大明神像・妙見尊像がそれぞれ一幅ずつ保存されている。
 また石造物類としては、安政・天保の前記供養塔・碑。歴代住職の墓石などのほか、次のようなものがある。
 
 板碑(一) 高さ七八センチ、横幅五七センチのもので、年号等は読み取れない。
 板碑(二) 年号としてわずかに「 六巳四月八日」が読める。
 画家・伴省吾の墓 境内墓地の最南端に、並木家墓地に隣接して建てられている板碑状のもので、碑高は四九センチあり、その表面には「俗名 伴省吾 恭謹院晩香日影居士 畫号晩〓居士」、裏面には「明治二十七年十二月去 南越前金沢藩 産 昭和四十年四月 門弟故並木長次郎 長男貫一之建」とある。この画家は並木重右衛門家に寄寓して絵画の修業をしていたものであるが、その筆になる風俗画などは近隣の家などにも保存されている。
 手洗石 この石造手洗いには「天明六年(一七八六)四月吉日」の文字が刻まれている。