ビューア該当ページ

春日神社 由緒・縁起

320 ~ 325 / 1100ページ
 周囲を水田がめぐり、突出した並木台地の先端にある。所在地は南並木字高野台二五七番地である。『中村神社明細帳』によると、
 
     千葉県管下下総国香取郡中村南並木字高野台二五七
                                         無格社 春日神社
  一、祭神  天津児屋根命
  一、由緒  寛永元年(一六二四)正月創立ニシテ村内衆徒ノ信仰ニヨリ是ヲ現今境内ニ勧請ス
  一、社殿間数 間口四尺 奥行四尺
  一、境内坪数 三百八坪
  一、氏子戸数 四拾七戸

春日神社

 このように創立を寛永元年としているが、当社に伝わる由緒書によると、
 
 抑々春日神社ノ創メハ、人皇第百六代後水尾天皇ノ御宇元和三丁卯年(一六一七)七月、当並木村佐藤勘兵衛ナル者夫婦共ニ一夜春日大神鹿ニ跨リテ南中村大道ノ祠ヨリ来ルヲ夢ミ、此ノ地高野台ノ古祠ニ祭レルモノナルヲ、越エテ四十有余年寛文元年(一六六一)正月、村内衆徒ノ信仰ニヨリ新ニ社殿ヲ造営シ、是レヲ現今ノ境内ニ勧請シタルモノナリ。然シテ慶応元年(一八六五)再興ス。
 
 このように書かれてあり、遷座を寛文元年(一六六一)としている。
 また飯田惣右衛門家には、遷座に際して大道(おおみち)の「樫木場」まで神体を迎えに行った馬に使用したといわれる轡(くつわ)があり、それを納めた箱に「天文元壬辰歳」(一五三二)の年号が墨書されている。
 祭神の天児屋根命は神話に知られた天照大神の岩戸隠れのとき祝詞を奏し、後の藤原氏遠祖といわれる神であるが、文久元年(一八六一)に嶺隠(地域史編多古・「親社大神供養碑文」に見える嶺蔭日慧と同一人物か)が書いた『春日神社由来記』には、
 
  天ツ兒屋根ノ命         乃チ是レ春日ノ神
  出テ於法性ノ都ヨリ      和ケテ光ヲ以テ同ス塵ニ
  神代司リ神事ヲ        遠 称ス中臣ト
  又是レ藤原ノ祖         其ノ裔今ニ幾ク人ゾ
  吾祖モ亦タ託シ跡ヲ       利ス生ヲ萬年ノ春
  神モ亦タ輔ケ道化ヲ      〓ス物ヲ一乗ノ津
  万水垂迹ノ影           一月本地ノ身
  鎮坐ス並木ノ山          何ソ異ラン三笠ノ真ニ
  四座一實ノ體           四来一合ノ賓
  賓ト實ト難思ノ境         感ト應ト自ヲ通伸ス
  唯タ神ハ在リテ正直ニ     無疎又タ無シ
  誠心ニシテ持チ正法ヲ     信帰スレハ則チ威新タナリ
  凡ソ心ノ邪ニシテ不ルモ正ナラ 依レハ法ニ亦タ能ク洵ナリ
  心ト法ト極メモ正實ナレバ    炎消福モ亦タ臻ム
   四座四来ト者
    春日ノ神有リ四座
    第一武甕槌神
     自リ常陸ノ鹿島至ル
    第二ハ経津主ノ神
     自リ下総ノ香取到ル
    第三ハ天兒屋ノ命
     自リ河内ノ枚岡移ル
    第四ハ姫大神之也
     自リ伊勢ノ国来ル
    即是レ天照皇
    分身之神也
    文久元年辛ノ酉ノ小春望日(一八六一)十月十五日
     神影来臨アリ即夜艸(草)案シ暁天拝賛ス
                                    嶺隠 印 印
 
と、河内(大阪)の枚岡(ひらかた)から移ったことを記している。
 社殿は木造亜鉛葺きの総欅造りで、豪壮な彫刻が施されており、上屋に覆われている。
 慶応元年(一八六五)八月に新築(または改築)されたときの棟札の一部を抜粋すると、次のようである。
 
   彫物師 江戸本所表町 岸上定吉
              同姓金太郎
              同姓留吉
              後藤久太郎
   屋根屋 成田     作兵衛
              音次郎
              松太郎
   大工棟梁   嶋村  平右衛門
    〃     ナミキ 六兵衛
   大工世話方  シマ村 重右衛門
   木挽     ナミキ 治右衛門
   コバブキ棟梁 成田宿 作兵衛
   時役人        七郎右衛門
              庄左衛門
              三右衛門
 
 そして、慶応三年(一八六七)の寄進帳にはその一節に、
 
当並木村出身ノ飯田某ナル棟梁 江戸ヨリ彫刻ノ名工達ヲ伴ヒ来リ 現在ノ如ク結構荘麗ナル宮殿ヲ造営スルヲ得タリ 再来諸人ノ尊崇漸ク敦ク 両屋・拝殿・瑞垣・鳥井・手水屋・灯籠等備シ 中村南並木四十七戸ノ鎮守神トシテ敬仰セラル。
 
とあるように、その面目はさらに一新されたのである。
 なお、古文書・棟札などによって社屋の新改築年次を列記すると次のようになる。
 
 一、元和三丁卯年(一六一七)七月
 二、寛文元年(一六六一)正月
 三、貞享元年甲子(一六八四)九月
 四、安永二癸巳(一七七三)九月十七日
 五、慶応元年(一八六五)八月
 六、明治十六年十一月
 
 そして、塗装・屋根葺替え工事などは数次にわたって行われ、その記録をとどめる棟札が箱に納められて丁重に保管されている。
 本殿内に安置されている神像の造刻紀年は不明であるが、宝暦四年(一七五四)に色を塗り替えている。奉安の神鏡は嘉永四年に寄進されたものである。