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大宮大神

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 「多古町多古字高野前(二五七二番地)に在り、域内千九百十九坪。天照大神を祀る。祭日二月十一日。創建詳かならず、多古部内の鎮守たり」(郡誌)とある。現在の祭礼は一月十日である。

大宮大神

 また、明治の『社寺明細帳』には、
 
     千葉県管下下総国香取郡多古町多古字高野前
                         村社 大宮大神
  一、祭神 天照大神
  一、由緒 不詳
  一、社殿 本殿 拝殿 手水屋 玉垣
  一、境内 千九百拾九坪
  一、氏子 三百戸
 
 このように記されている。
 同社所蔵の御影掛軸に
 
 下総香取郡千田庄多古村鎮守、天照皇太神宮御影、去ル文政六癸未歳(一八二三)六月中別当亮貞日遂代再表具。郡奉行堀口孫左衛門定長、桑尾岡右衛門邦貞、小川五郎治敬義。代官鈴木助左衛門重政、與風文之亟邦和、五十嵐平左衛門利貞、奉納之。毎年正月祭日、四月御田植之神事之節於別当令拝礼。及年数殊大破ニ付改而新画表相於江府出来、当役之面々各寄付奉納之。在勤中、郡奉行吉野要八方哲、寺井仁兵衛邦英、鈴木忠兵衛正懿。御目附山口平蔵篤直。代官與風半之允邦知、五十嵐平左衛門惟忠、浅野平作崇道、渋谷定治郎好長。割元柴田長太夫輝邦。御影懸物一幅者、両祭礼御神事之節、別当所江相渡、常御陣屋御宝蔵ニ入置申候事。
   于時弘化三丙午載(一八四六)秋八月
 天照山別当𢅛(龍)玉日灌(花押)
 
とあって、御影は当時多古藩在勤中の藩士達が奉納したものである。別当はかつて木戸谷にあった天照山法性寺であった。神鏡は藤原光長の銘がある。
 本殿前の石燈籠は、延享三年(一七四六)十二月多古藩士吉田郡右衛門満貞、桑尾岡右衛門充孚(伏)の寄進したものである。
 境内西側に天明三年(一七八三)正月、太子講中建立の聖徳皇太子と、天保九年(一八三八)十二月山蓮中、願主堀の尻平兵衛建立の山神を祀る石塔がある。
 境内左に嘉永元年(一八四八)八月、村中寄進の大きな手洗いがある。四面に多古藩士、割元名主、多古村名主、組頭、百姓代をはじめ寄進者六五名の氏名が刻まれている。
 入口の鳥居は文化十二年(一八一五)四月の建立で「別当法性寺十五世顕察日観代」とある。