また同社の「おびしゃ」は一月十日(もとは二十日)本町の氏子によって行われるが、その当日、来年の当番に引き渡される掛軸(牛頭天王御影)の裏面に「妙法蓮華経 序品第一祇園牛頭天王 奉開眼高根山当住戒慈院智秀日遊(花押) 諸物救世者住於大神通 為悦衆生故現無量神力 本町奉謝講中之御影再興 本願主大矢清兵衛 時宝暦十庚辰(一七六〇)正月廿一日」とある。
祇園祭礼は『郡誌』に八月五・六日とあり、嘉永三年(一八五〇)の記録には七月四日、『安政記録』に六月二十九日とあるが現在は七月二十五・六日(新暦)に行われる。当日三町の氏子によって社前で奉納される「しいかご舞い」は、無病息災、豊作、雨乞いなどを祈願する神事で、獅子・鹿・雨蛙(形により「まんじゅう」と呼んでいる)の面をつけた若者が仮設舞台上で踊り、猿が三方に太縄を張った大柱(津久舞柱)にのぼる。
猿面の納箱に「天明元年(一七八一)七月問屋甚右衛門代 さしもの師ひがし宇衛門 ぬりし横丁角兵衛」の墨書がある。
「しいかご舞い」は昭和五十年千葉県無形文化財、同五十一年国選択の無形民俗文化財の指定をうけた。
当日三町の山車が引き回される。山車は新町が天保十年(一八三九)、本町が明治十二年、仲町が昭和四年にそれぞれ造られ、新町・本町の山車は中途に大修理がなされた。
新町の什物箱に「天保九戊戌九月中惣若者中相談之上 月掛出銭仕漸久当年祇園祭礼之節 佐原京奈良屋ニ而猩々緋ヲ金拾四両ト銀拾三文目八分 天鵞絨(ビロード)仕立賃通計十六両二分 引屋台者当時日本無競之大工中村文蔵ニ金弐拾両ニ出来 金物者七両 右此品々我町内什物ニ而大切成故此後々マデ若者共軽麁ニ者不二相成一者也 亥七月」と墨書されている。