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天満宮

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 字西ノ内二〇一一番にある。道沿いの木造鳥居がその場所を示している。亜鉛葺雨屋の中に一メートル四面ほどの木造本殿がある。鳥居の傍に、高さ三〇センチほどの石造手洗いがあって、それには「奉納 昭和八年参月 長女志ず子 東京薬学専門学校卒業記念 五世郡司勘兵衛」と刻まれている。
 島集落の寺院を記述するにあたって、前もって触れておきたいこととして、一村こぞっての宗派、日蓮宗不受不施派のことがある。
 その歴史的経緯については通史編に譲るが、この派は、町内においては島だけではなく、中佐野・東台・大原の各旧村もほとんど村ぐるみで同派であり、一村の中で一部が同派である村々は、水戸・林から、南玉造・坂に及んでいる。
 島には、町内でただ一カ寺、不受不施派で住職の在住する正覚寺があり、同派弾圧時代の事実を伝える遺構が残されている。また、同派の宗宝ともいえる古文書類が、正覚寺宝蔵庫に納められていて、多数の研究者が訪れることなどから、不受不施派の代表的なところになったようである。