成等山正覚寺
明治時代に書かれた『社寺台帳』には、次のように記されているのみである。
千葉県香取郡多古町島弐千参百弐拾番地
所属宗派 妙法華宗 正覚寺
本尊 宗祖日蓮奠定十界常住ノ文字曼荼羅
道路から一・二メートルほど高くなったところに山門が建てられ、正面の額には「成等山」と刻字されている。前庭の中心に銀杏の老樹がそびえ、本堂と庫裡が並んでいる。左手に二・七メートル四面の瓦葺き鐘堂があって、直径六〇センチほどの梵鐘には、
如来一切所有之法
我此土安穏 如来一切自在神力
毎自作是念 如来一切秘要之蔵
日蓮が慈悲広大ナラバ 南無妙法蓮華経ハ 万年ノ外 未来マデモ流ルベシ 日本国ノ一切衆生ノ盲目ヲ ヒラケル功徳アリ
如来一切甚深之事
千葉県香取郡多古町島 日蓮宗不受不施派成等山正覚寺 日蓮大菩薩七百遠忌施主 門真市江田信子 ミドリ 有子 豊中市中村文三
とあり、鐘堂・梵鐘ともに昭和五十五年六月に建設されたものである。
寺内には高さ二・五メートルほどの石燈籠一対が、本堂前にあり、「奉献 共敬神尊仏念篤当祖先四百五十年忌 寄進石燈籠二基 以慰祖先霊吊菩提実可謂慎終追遠之徳厚矣 昭和六年三月十日宇井磯太郎 冨澤勧一 冨澤勝蔵」、「冨澤勧一 同勝蔵出 三左衛門 勧一曽奉職宮内省主馬寮卅年又参加日清日露役叙勲七等 今勤西郷伯爵家職 勝蔵隨大正六年奉職宮内省大膳寮 冨澤勧一 冨澤勝蔵」
宝蔵庫は本堂前西側にあって、古くは文安五年(一四四八)ごろからの古文書・曼荼羅などが数十点、他の寺宝とともに納められている。
本堂西側にある一メートルほどの石塔は太子講塔で、「聖徳皇太子天明二壬寅年(一七八二)正月吉日建之 構中」と刻まれている。
本堂西側にある高さ一メートルほどの石塔には「不退院宗昇日注 天保十一年庚子(一八四〇)秋八月建立」と刻まれ、台石には「筆子中 島邨 水戸 石成 境村 多古 中村 古内 飯塚 並木 篠本 船越 谷新田 岩山 加茂 酒々井 江戸」とあることから、寺子屋の師匠のものと思われる。
本堂軒先に懸けられている半鐘は直径三〇センチあまりのもので、「正覚寺再興ノ師 教妙院日耀聖人〓大悲教導満乾坤精撰立正安国論刀剣流竄更不顧祖師慈眼莫倫尊 聖人第五十回忌並ニ先祖代々菩提ノ為 祖山参詣記念ニ正覚寺へ此ノ鐘ヲ奉納ス 昭和四十七年四月二十五日 施主仲町六代目郡司勘兵衛 妻志づ子 高根二代目郡司博庸 妻寿子」の刻文がある。
また、受派の時代に祀られたのであろうか、現在は境内の北西に垣根で隔てられているが、鳥居をくぐり、七段ばかり石段を登ると、木造亜鉛葺きで一・五メートルに一メートルほどの三十番神の本殿がある。石段には、「奉納大木幸三郎昭和十二年 月」とあり、コンクリート製手洗いには「奉納星野瀧蔵 大木寅之助 大木幸三郎 宇井清一 昭和十二年九月吉日」とある。