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雷電大神

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 字登戸一二五二番にあり、集落の北東台地上に位置している。石成の鎮守である。この社について、明治の『社寺明細帳』は次のように記している。
 
    千葉県管下下総国香取郡多古町水戸字登戸
                  無格社 雷電大神
  一、祭神 大雷神
  一、由緒 文明二庚寅年(一四七〇)十一月勧請ノ由古老ノ口碑ニ存ス
  一、社殿 本殿
  一、境内 九拾坪
  一、氏子 弐拾戸

雷電大神

 大雷神を祭神とする社は、町内ではここだけである。雷が雨を降らせるということから稲作の神とされ、雷神が蛇形(稲妻)となって天下ることによって稲穂を実らせるといわれている。稲妻の連想から神像は蛇形が多い。
 由緒などについては、次に載せる文書によって知ることができる。
 
     因縁記
抑当社創業者 大同二年(八〇七)房国之西台地尓宮柱太敷立、高天原仁千木高知里弖御鎮坐須、雷尊古従此所乎領坐故石成乃里止云、御産子弥益々立栄弖吉凶禍福乎共仁志弖、日仁異仁子孫繁栄乎尢祈志弖永長玖祭祀乎遵奉志弖、仕奉留事尓奈 有祁留
  御祭日
     大祭毎年十一月十四日   旧式神像ヲ彩色スル御服替ノ御神事ナルベシト耳口伝ヘアルニ付記置者也
     中祭毎年一月七日
     小祭六月十五日
  石成村大明神祭当番ノ事
     一番 半右衛門   二番 六郎左衛門
     三〃 重左衛門   四〃 源之丞
     五〃 太郎右衛門  六〃 甚左衛門
     七〃 藤九郎    八〃 縫殿助
     九〃 新兵衛    十〃 勘右衛門
     十一〃庄兵衛
     以上拾壱番
 右者卯年公事ニ罷登候ニ付、祭之儀御公儀ニ而先規之通、別当石城寺、袮きハ加茂村式部太夫ニ被仰付候通、弥々違背仕間敷候。
一、当元之義先規違、近年より弐元ニ仕百性中まニ而六ケ敷儀申ニ付、当辰年より当元之儀壱元ニ仕、拾壱人之百性、番々ニ壱年かわりニ可仕者也
   寛文四年辰(一六六四)四月晦日                        西尾利兵衛
                                         工藤太郎左衛門
    石成村 庄や百性中方
 
 老杉に囲まれた参道の鳥居をくぐると亜鉛葺拝殿の奥に彫刻の施された一・八メートル四方ほどの銅葺欅造りの本殿がある。
 境内に次の小石宮が祀られている。
 
 子安様 木造で、たて一メートル、よこ一・二メートルほどの小宮である。
 疱瘡神 石宮で高さ約五〇センチあまりで「疱瘡神 弘化四丁未年(一八四七)二月吉日」。神前の石造手洗いに「奉納明治二十四年八月吉日 願主鈴木国治郎」と刻まれている。
 
 奉献物として、本殿前にある石燈籠一対には「御神燈大正二年十一月願主鈴木久蔵 鈴木菊松 鈴木佐治郎」と左右同文が刻まれている。
 参道に高さ三〇センチほどの石塔があって、梵字の下に「得大勢至   天保三   御眞言百  」の文字が読みとれる。