字海老谷七二五番にある。明治七年七月に政府が信仰の自由を認める新法を公布し、やがて不受不施派も公許となるが、翌八年十月十九日、法眼寺住職波多野日祈と村人七名が宗論の結果、法眼寺檀家を離れた。そのときの信者の人たちによって設けられたものである。しかしこの改(復)宗離檀は、後日に多くの問題を生じさせたようで、次に掲げる一文(下書き)も、それらの事情を伝えるものである。
仮葬御届
第十五大区壱小区
香取郡水戸村
青木直右衛門
右奉申上候、私拳家日蓮宗不受不施派信仰ニ付、本年壱月教部省第二号御布達ニ照準シ、本村菩提寺法眼寺住職波多野日祈へ、承認書渡呉候様数度申入候へ共、彼是延引罷在候内、祖父新七儀長病候処、養生不相叶本月四日午後死去仕、兼而信仰罷在候間、葬送之儀も必ス右不受不施派同区同郡東台拾八番地山口揚順同居教導職試補小高辨明ニ依頼致呉候様堅遺言有之、葬期ニ迫り 右波多野日祈へ組合之者ヲ以承認書相渡し呉候様只顧申入候得共承諾不仕、無余儀組合親戚之もの立合之上仮葬仕置候間、此如御届奉申上候 以上
明治九年十二月五日
右村
青木直右衛門
親類惣代
平山治郎兵衛
組合惣代
高岡伊左衛門
令宛
内陣には、明和九壬辰(一七七二)正月末日・日體花押の鬼子母神画像があるが、これは不受不施派信者だけで行う子安講の本尊であるという。