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家伝薬

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 五木田家では、今からおよそ一八〇年前に、家伝の秘薬が作られていたようで、秘薬の由来を記した一文が伝えられているが、調合・販路・生産量・いつの時代まで作られていたかなどに関する資料はない。原文は次のとおりである。
 
 抑此妙薬の由来を委鋪(くわしく)申そうなら、此に水生隼人の出所ハ、下之総州香取郡水戸村之産ニ而、幼少之時に父に後れ、老たる母を養ひけり。母ハ常に自病之癪を持、動(やや)ともすれバ再発いたし、頃ハ寛政三之亥年(一七九一)弥生半より葉月之末に至迠、持病再発止事なし。良医を召して薬力尽せとも、更に験(きざ)しハ見へされけり。隼人ハ此事歎きけり。
 急ぎ諸天へ祈らるゝ、不思儀成哉、有夜の夢に壱人の天童天下り、告知らせけるハ、善かな、汝親の病苦を心痛し、我に祈せい(誓)を立たる也、我今其心を感じ汝に壱ツの薬法知らす、是を調与へられよと。
 夢うつゝに教られ、覚知って右之教を写し留、家の秘法ニ被致て、病苦度毎に与ゆるに忽験を顕せり。夫より諸病に用見給ふに、粗(ほぼ)其験有事霊験不思儀の妙薬也。依之神之教を一丸に神教丸と名を付て、諸国村々為弘、此度取次願入候。
   寛政九辰年(一七九七)二月中旬