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路傍の小祠・石宮・石塔など

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 風神様 字宮ノ前二〇九番の二がその所在地で、鎮守諏訪神社参道入口である。三差路の中心部が一段高くなっているところに立つ七〇センチほどの石宮で、次のように刻まれている。「南無妙法蓮華経 風神守護 文政六未年(一八二三)六月十五日 西加茂 成田 奈免川(滑河) 酒々井 佐倉 江戸道 北た(多)古 かんとり(香取) 佐原 中村 松崎 小見川道 南山中 芝山 埴谷 いわとミ(岩富) 東か祢(東金)道 近郷世話人  村願主織右衛門」。
 道しるべ 右の風神様と、上・下両総の国境いの道路をはさんで相対している。現在は山武郡芝山町域のようであるが、後年の道路改修などによってその場所は移し替えられているのかもしれない。高さ一二〇センチほどの石柱には、「梵字 奉順禮西国三十三所供養塔 北たこ なかむら 松さき やまくら かとり さわら おミ川ミち 西加茂 酒々井 さくら 江戸 なりた なめ川 阿波道 東  山  (し)は山 いわとミ はんや とうかね 小ミなと道 弘化二乙巳年(一八四五)八月吉日 間倉邑伴兵衛 嘉右衛門 佐右衛門  兵衛 周作 惣兵衛  兵衛  十良 林蔵 下吹入邑善右衛門 平左衛門 藤兵衛 惣左衛門 榮助 良助 大台邑弥左衛門 境邑定右衛門 勘兵衛 静左衛門 金右衛門 作右衛門 伝治良 平左衛門 権兵衛 宮崎邑平治良 国蔵」このように刻まれている。
 道祖神 集落から国境いの道を登って諏訪神社へ向かう途中、字仮屋一七二番の二である。墓地のかたわらに見落されそうな小石宮が二基と数個の奉納石があるだけで、それに刻字はない。