三社神社
三村一社の由来について「中佐野村日記」には、享保十一年(一七二六)まで三村一社であったが、同十二年に中佐野村で八王子大神を勧請したことが記されている。そして明治の『社寺明細帳』(原文は東台の項参照)には、口碑によればとして勧請の時代を慶長六年(一六〇一)と記している。
また、慶長から享保までは三村で一社を祀っていたが、享保からは三村が同一境内にそれぞれ一社ずつ(東台村天照大神、中佐野村八王子大神、東佐野村熊野大神)建て、明治十年に五カ村が合併して喜多村ができたとき旧に復し、三神を合祀したといわれている。そして、村に残る明治の文書には次のように記されている。
社籍明細調書
新治県第五大区小七区
下総国香取郡東佐野村
鎮座字大谷台
熊野大神
伊弉諾命
伊弉冉命
由緒不詳
勧請不詳
例祭日 正月七日
社殿建坪 但桁三尺五寸 梁三尺
境内反別二畝廿五歩 旧反別六畝十五歩
旧社領朱墨印無御座候
戸数十四戸
新治県庁迠里程十五里
右之通取調奉書上候処相違無御座候得共 考証ト可相成書類更ニ無御座候 以上
右村
明治七年十一月 農惣代 小川又右衛門
戸長 金澤弥右衛門
新治県権令中山信安殿