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満福寺跡

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 現在当集落に寺院はない。家々の宗旨には日蓮宗と真言宗とがあって、菩提寺も染井妙暹寺、多古妙光寺、飯櫃(芝山町)蓮福寺に分かれている。
 寛文六年(一六六六)の名寄帳には、「遍照院屋鋪三畝九歩」と記されていて、明治四年宮谷県庁への届書にも、「新義真言宗遍照院 境内御年貢地六拾四坪」とある。さらにその後の社寺台帳には、次に見られるように「満福寺」の名が載せられている。
 
     千葉県管下下総国香取郡多古町喜多字台
                               蓮福寺門徒
                                      真言宗 満福寺
  一、本尊   大日如来
  一、由緒   不詳
  一、堂宇間数 間口五間半 奥行三間
  一、境内坪数 弐百五拾九坪 民有地第一種
  一、住職   遠藤照宥
  一、檀徒人員 四拾九人
   昭和二年八月十七日附ヲ以テ満福寺ヲ花蔵院ニ合併ノ件許可セラル(一部省略)
 
 以上のことからみると、遍照院から満福寺に改まり、井野の華蔵院へ合併されたことによって当集落の寺院はなくなったようであるが、右の檀徒人員数からみて、満福寺時代は村内のほとんどが真言宗であったようである。
 満福寺跡は字台四六五番の一の集落東端で、現在は共同墓地になっている。入口左手には真言宗寺院らしく大師堂があつて、三〇センチほどの弘法・興教両大師の石像が祀られている。
 この大師堂裏に二基の碑があり、それぞれ次のように刻まれている。「落葉し亭(て)明行空能(の)曇里(り)可(か)那(な) 金照院彌善常幸信士 真鏡院観阿妙浄信女霊 明治七戌九月十四日 優曇花に回り〓たる此世界 仏になりて弥陀の浄土え 金澤弥右衛門」、「奉順礼四国西国秩父坂東供〓塔 明治四未十一月吉日 金澤弥右衛門」。
 奥の墓地には歴代住職の墓石の一群があり、かたわらの石柱には「奉待青面金剛 元文五庚申(一七四〇)十月吉日東佐野村」とある。