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三社神社

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 字大谷台五〇五番地にあって当集落とともに中佐野・東佐野の旧三カ村の鎮守社である。国道二九六号線が佐野坂を登りきったところで集落から国道に通ずる道路と交わるが、この道路に接して石造鳥居があり、その奥に祀られているのが三社神社である。そして明治の『社寺明細帳』には次のように記されている。
 
     千葉県管下下総国香取郡多古町喜多字大谷台五〇五番地
                                      無格社 三社神社
  一、祭神 天照大神 八王子大神 熊野大神
  一、由緒 慶長六辛丑年(一六〇一)九月勧請ノ由古老ノ口碑ニ存ス
  一、社殿 本殿
  一、境内 七百八十坪
  一、氏子 六拾七戸
 
 この社について老人は、「昔は各村ごとに崇めていた神を、ここの場所に一緒に祀ってあって、本殿の後に安置されている石造の小宮がその名残りである」という。明治になって喜多村が生まれたときに三社合併して一社にしたものといわれているが、社名について記した一文が区有文書の中にあり、それには次のように述べられている。
 
   上申書
 右者香取郡多古町喜多字大谷台五百四番ノ内一ニ森林仝所五百五番ノ境内ニ編入出願ノ儀ニ付 三社神社ノ社名改称シタル哉ノ趣ヲ以テ願書却下相成候ニ付 更ニ取調候処 該神社ノ社名ハ貞享年間ヨリ(天照太神、八王子大神・熊野神社)三社ヲ奉祀シタル者ニシテ三社神社ト称シ 現今改称シタル儀ニ無之候間 別紙神社明細帳ノ写相添此段上申候也
                               下総国香取郡多古町喜多
                                     氏子総代 木内豊吉 印
  明治三十三年三月十五日                        同    萩原長吉 印
                                     同    土屋泰蔵 印
   千葉県知事阿部浩殿
 
 すなわち、三社神社の社名は貞享年間からのもので、喜多村が誕生した明治からのものではないというのである。