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本還寺跡

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 ここは不受不施派信仰の村である。村人は徳川時代の長い弾圧の期間、ひそかに不受不施の教えを信じながら耐え抜き、今なおこぞってこの宗派である。それだけに祖先崇拝の諸行事は昔のとおり固く守られていて、墓地なども毎月一日、十五日には必ず清掃され、さながら公園のように清浄な場所である。
 長い弾圧の歳月の中で生きる手段として、表面上は受派である一般的な日蓮宗徒として寺院も造営したが、禁制を解かれた明治九年以降は受派の寺を離れて本来の不受不施派を標榜して、字妙見前九九七番地の一に不受不施派教会所を造り、永年にわたる悲願を果たした。
 やがてこの教会は隣の中佐野へ移されて、今もその務めを続けている。旦那寺は島の正覚寺である。
 偽受派信者を檀家として、禁教信者を追求の手から護り続けた寺院の跡をたずねると、その一つは字向下九七八番地の一にあって、集落の中央に位置し、現在は集会所が建てられている。明治の『寺院台帳』には次のように記されている。
 
     千葉県管下下総国香取郡多古町喜多字向
                                     誕生寺末 本還寺
  一、本尊   釈迦如来
  一、由緒   不詳
  一、堂宇間数 間口六間 奥行四間
  一、境内坪数 百弐拾弐坪
  一、住職   小野錬雄
  一、壇徒人員 弐拾三人
 
 また、区有文書の中に同寺の半鐘が盗まれたときのことを記した次の一文がある。
 
   盗難届書
                                千葉県下総国香取郡喜多村
                                  用係代組長 木内小左衛門
 右奉申上候。私村内六十六番地日蓮宗東台山本還寺、本堂軒下へ半鐘壱箇掛置候ヲ、本月廿一日午前十時頃、右寺隣家ナル柳川七郎兵衛、不相見趣用係り宅迠届申出候ニ付、旦方ノ者自分共ニ立会心当り相尋候得共見当不申、紛失ノ品左ニ
一、半鐘  壱箇
  但 差渡シ壱尺五寸位
    目方拾五貫目位
   此代金拾弐円位
    銘・寛文六年(一六六六)五月日
                                     千田庄大原郷東台村
                                       寄附人 佐藤五郎兵衛
                                           佐藤隼人
                                           木内彦左衛門
                                           柳川四郎左衛門
                                           山口市太夫
                                           鈴木喜右衛門
                                           山口源之丞
                                           鈴木藤兵衛
 右品近傍所々相尋候得共、更ニ行衛不相分、全ク盗賊之所業ト存候。此段御届申上候  以上
                                      右檀中惣代
                                        組長 木内小左衛門 印
   明治十一年十二月廿二日
     千葉県令 柴原 和殿
 
 そしてこの寺跡から最近移されたという石塔三基が妙見前墓地の一隅にあって、それぞれ次のように刻まれている。
 
  (正面)「南無妙法蓮華経日蓮大師 文政十二己丑年(一八二九) 正当五百五十稔」
  (左側)「奉唱玄号一千部成弁処 元禄十年丁丑(一六九七) 東台一結男女」
  (右側)「奉唱玄名一千部五百遠忌報恩謝徳 天明元年壬(辛)丑年(一七八一)十月十三日 東台山本還寺惣檀中」
  (正面)「文碩院 眉聖人(右側)天保六乙未(一八三五)十二月七日」
  (正面)「心成院日政聖人 天保十五甲辰年(一八四四)九月二十四日化」
 
 こうして石碑や古文書を見る限り、本還寺は元禄十年(一六九七)から明治十一年までは、受派寺院として存在していたようである。大正期になってからは寺院台帳にその寺名をとどめるのみで、寺院の建物は村の集会所のような役割を果たすのみであった。そして、そのころから本還寺の寺籍は秋田県の某所に移されたといわれているが、明確にはわからない。
 さらにもう一カ寺あったということであるが、その在所が何処であるのか、古老もそれを知らない。ただ、次の文書によって存在の事実だけは証することができる。
 
     売渡し申一札之事
  一建家壱棟 但し表間口  四間
          奥行   弐間
          外ニ九尺大飛(ひ)さし
    代金拾円也
   右者我等取持之建家壱棟 此度貴殿方へ売渡し 代金正ニ受取申候也
                                         第百十番
                                          地主荘巖寺
     明治五壬申年十一月
      加藤 い登 殿