ビューア該当ページ

天御中主神社

711 ~ 712 / 1100ページ
 字北の内四三四番地にある。人家のある地帯全域がかつての城跡といい伝えられているだけに、東方に張り出した台地の一部が犬走り(城の垣と堀との間にあるせまいあき地)とみられる二段の斜面となっている。西へ二〇〇メートルほど行ったところが字大堀切で、ここは大きな堀によって人家のある地域とその先とを切りはなした形状である。そこから東へ向かう西の井・北の内までは二段斜面が続き、字諏訪ノ崎(北面の東端)では、三段とも四段とも思える複雑な地形となり、登戸・奥畑あたりからまた二段斜面になっている。このようなところのほぼ中央の位置に鎮座しているのが当集落の鎮守社・天御中主神社である。明治時代の『社寺台帳』は次のように記録している。
 
     千葉県管下下総国香取郡多古町字喜多
                 無格社 天御中主神社
  一、祭神 天御中主命
  一、由緒 慶長四年(一五九九)三月勧請ノ由古老ノ口碑ニ存ス
  一、社殿 本殿
  一、境内 百参拾六坪
  一、氏子 弐拾三戸

天御中主神社

 本殿に祀られている本尊は童児姿の妙見立像で、その勧請についてはあるいは口伝よりも古く、ここに居城した千葉氏の支族加藤兵庫守によるものかとも思われる。
 この社の御奉射(びしゃ)は例年一月二十二日に行われる。