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由緒・縁起

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 『寺社台帳』には次のように記されている。
 
    千葉県管下下総国香取郡多古町喜多字入
                  地福寺末 華蔵院
  一、本尊   阿弥陀如来
  一、由緒   不詳
  一、堂宇間数 間口七間 奥行六間
  一、境内坪数 百弐拾坪   官有地第四種
  一、住職   諸岡照善
  一、檀徒人員 八拾三人     以上
    (附箋)大正十五年十二月二十三日届出 兼務住職篠崎清憲
       昭和二年八月十七日附ヲ以テ満福寺ヲ花蔵院ニ合併ノ件許可セラル
 
 附箋にある満福寺は東佐野にあった寺で、宗旨は真言宗智山派、本尊は大日如来で当時檀徒人数は四九人であった。
 現在の華蔵院は、祖師を弘法大師とし宗祖を興教大師とする真言宗智山派に変わりはなく、住職は飯笹地福寺住職篠崎照憲師が兼任している。
 内陣には二寺合併のためか仏像が多く、当寺の本尊である阿弥陀如来をはじめとして、旧満福寺本尊と思われる金剛界、胎蔵界の両部大日如来像があり、脇侍としての不動明王と、弘法・興教の両大師が安置されている。什物のざる鐘には「香取郡多古村喜多区字井野花蔵院什物明治二十八年一月吉日」と刻字され、その他には極彩色の曼荼羅が数本所蔵されている。
 定例的な行事としては、毎月十五日に「おにつき」という老人の集まりがあって、誦経して先祖供養を行い、二月十日には「百万遍」が行われている。この百万遍は、年寄りの人達が大数珠の周りに輪形に座って、題目を唱えるたびに一つの数珠玉を送り、大数珠が一巡するごとに数取り板の駒を一駒起こして、百万回南無阿弥陀仏の転化である南無阿弥陀仏を誦する行事で、三十三年忌を過ぎた祖先全霊の供養でもあるという。
 また、四月五日から同十四日まで行われる「十善講」がある。別名「お大師参り」、「札打(ふだぶ)ち」と呼ばれる行事で、弘法大師が定めた四国八八カ所を近郷の真言宗寺院になぞらえたものである。
 巡拝の村々は、多良貝・横堀・一鍬田・菱田・坂志岡・岩山・朝倉・住母家・加茂・白升・浅川・飯櫃・小原子・山田・一本松・牧野・川津場・五十石・新田・二区・板川・山室・高田・桜前・中台・牛熊・殿辺田・高谷・山中・芝山・小池・大台・谷津台・石成・船越・牛尾・東佐野・井野・飯笹・五辻・間倉・三区・夜番・打越・吹入上下、以上順序は道順ではないが、これらの集落に現存する寺院、または廃寺跡の石仏などを、御詠歌を唱えながら巡詣するのである。これを「大廻り」と称し、初日の一番を大台から振り出し、また、最後の結願(けちがん)として大台に戻る行事である。
 導師として各寺の住職も同道するが、会員は約一五〇名前後で、菅笠を冠り、旗をなびかせ、法螺貝を吹きながら行く老人たちの行列は、春の風物詩の一つに数えられている。
 この大廻りの外に「月廻り」があり、それは毎月二十一日と定められていて、巡拝順路は次のようになっている。
 
 五月 横堀・一鍬田・夜番・一区・三区
 六月 白升・浅川・飯櫃・小原子・山田・一本松
 七月 石成(水戸)・船越・牛尾・谷津台
 八月 山中・芝山・小池
 九月 山室・板川・二区・新井田・高田
 十月 打越・下吹入・上吹入・大台
 十一月 五反田・東佐野・井野・飯笹・五辻・間倉
 十二月 加茂・住母家・菱田・坂志岡
 一月 桜前・中台・牛熊・殿辺田・高谷
 二月 牧野・川津場・五十石・朝倉・岩山