染井は本郷・原郷・小田辺郷の三郷からなり、古代住民は原の台、宮台付近の高地に住んでいた。これらの台地から縄文期以降の土器や土器片が出土する。
水田耕作が進むにつれて低地が開拓され、住民が移動し現在の村落が形成されたといわれる。
古く染井の低地は葦野であったが、次第に開拓されたもので、今でも耕地の深くから葦の根が出るという。
染井の草分け伝説によれば、初めてこの地に住みついた住民は、多古の草分けと同じ北方の台地「桜宮」付近に住んでいたという。此所はむかし京都より東下した桜宮某が家臣と共に土着したことからこの地名が付いたといわれる。
そして、桜宮某の家臣・染井大納言の一族である染井中務という元公卿が、従者五人をつれて現在の染井の里へ移り住んで草分けとなり、よってその地を「染井」と呼んだということである。もちろん説の真偽は定かでない。