この地一帯は篠竹(しのだけ)の生育に適するものとみえ、いたるところに群生している。その中には結実する種類があり、食料として用いることができることを知った古代人は、鳥獣によって蛋白質源を補いながら、篠の実もよく食べたようである。
山口東岱が『山室譜伝記』にある「大原楠」を説明した文中に、「……又近在数千年を経たる篠山あり。其実著しく実り、所の人民来りて喰す。飯の如く也とて竹米と云う。依て飯野村、飯篠村と名付く。今の井野、飯笹と云うは之より始むと」と述べている(地域史編井野の項参照)が、飯笹の地名についてのいわれを物語っているものといえよう。