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宇賀神社 由緒・縁起

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 まず、『社寺明細帳』を見ると、
 
     千葉県管下下総国香取郡多古町飯笹字宿
                                     村社 宇賀神社
  一、祭神 倉稲魂命
  一、由緒 応永十癸未年(一四〇三)正月勧請ノ由古老ノ口碑ニ存ス
       大正四年十二月廿一日許可ヲ得テ同所無格社高皇産霊神社ヲ本社ニ合祀ス
  一、社殿 本殿拝殿
  一、境内 千九百七拾八坪
  一、氏子 三百五拾壱戸
  一、境内神社
     愛宕神社
     祭神 火産霊神
     由緒 承応二癸巳年(一六五三)勧請ノ由古老ノ口碑ニ存ス
     社殿 本殿
      昭和十三年四月二十八日社掌就職 鈴木由太郎(以下省略)
 
 このように、勧請年代を応永十年としているが、別に、推古天皇の御代(五九三~六二八)田村王の奏上によって飯笹字稲荷山に遷座され、慶長十四年(一六〇九)社殿を造営して字宿六八八の二の現在地に奉遷したとある(改修記念碑文)。

宇賀神社

 また、馬牧の作業に従事する人たちが集落をつくり、その鎮守として当社を祀ったとの口伝も残されている。
 その後社殿は明和八年(一七七一)四月に改築されているが、このことについては地福寺文書に「宇賀神社ハ明和八年四月二日字宿へ宮造営神殿成就正遷宮序書之 別当如意山地福寺弥勒院血脉二十代 現住法印権大僧都宥印謹言」と記されている。
 氏子三五一戸は、飯笹・間倉・井野・大原・東台・中佐野・東佐野・五反田・林の地域にわたり、これら九カ村の総鎮守社であった。