飯笹字千田台(ちだだい)二一九ノ一番地にある。その境内地は飯笹区第一部に属する稲葉廓(くるわ)の共有地となっているが、明治七年の政令によって国に上地され、同四十五年五月に再び払下げを受けたものである。払下げの後、町長伊藤大助を代表者として登記をしたが、昭和になってから、当時の稲葉廓一二人名儀に移転登記がなされた。
木造の小宮と鳥居があり、その後方に松のご神木があった。この松は梢が平らに広がり、その円周は相撲の土俵ほどもあったことから、村人は「三峯様の土俵松」と呼び親しんでいたが、松喰線虫の被害からまぬがれることができず、近年枯死した。
当社がこの地に分祠されたことについての記録はないが、講は毎年一回ずつ続けられた。しかし、明治末年以後は埼玉県秩父郡にある本宮への代参も二人となり、いつかそれも行なわれなくなった。毎月十九日の参詣は、いまもなお続けられている。