朝比奈氏の墓碑は、一基の碑面に百助(義忠)と万之助(義豊)の法号が次のように併刻されている。「(右)真性院殿光誉道円居士 寛延四辛未年八月二十二日 朝比奈百助」、「(左)覚本院殿相誉了幻居士 寛延四年辛未年八月二十四日 朝比奈万之助」。この二日違いの死が朝比奈家を断絶に追い込んだことは、すでに述べたとおりである。
字千田台二三二番地の山中に、朝比奈家女人のものと称される墓石と五輪塔が倒れ、半ば埋もれていた。墓石は崩れ、その文字は読み切れなかったが、正面に「 妙珠信女 妙 信女」とあり、両方の間に「㚑(霊)」。そして「十一子七月九日」と「縫左衛門」の文字がわずかに読み取れる。
ちなみに、万之助義豊の妻は「一生賜三十人扶持、天明六年丙午(一七八六)八月十四日没」とある(断家譜)。