別名十九夜塔と呼ばれるこの石塔は高さが六メートル余もあり、当寺最大のものである。いかにもどっしりとした感じで、願主たちの信仰の深さと、当時の寺勢を物語っている。
笠石の下段には蓮華に囲まれた梵字が彫られ、その下の方形石には「経日若有有情 能於此塔一香 一華礼拝供〓 八十億劫生死 重罪一時消滅 生免災殃生死」とあり、背面には「寛政六寅(一七九四)十一月吉 当時前住法印宥啓 現住法印公源」とある。左側には「仏家若有応隨 阿鼻地獄若於 此塔成一礼拝 或一右遠塞地 獄門開菩提路 或又有悪人死」、右側には「乃至誦上袖呪編 至七遍洋銅熱 鉄忽然変為人 功徳地蓮蓮生〓 足宝蓋駐頂地 獄門破菩提道」と刻まれている。次の段石には「代々先祖菩提当村萩原平兵衛 永 道明紗弥 萩原平右衛門 信女 信女」、左側には「速心院教営善恵信士 一心院頓成覚栄信士 代々先祖菩提 十九夜講中」とあり、以下住母家・加茂・間倉・高津原などの村民四七人の名が記されている。