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行屋

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 字香取谷(かとりさく)に寺があったという伝説がある。しかしそれが香取谷のどの場所であるかについては不明である。
 区有文書の一枚に次のようなことが記されていた。
 
   一札手形之事
一、飯笹村行屋儀ハ、正保年中(一六四四~四七)ニ我等行屋之先師満海弟子山海と申行人飯笹村へ罷越、行屋取立居住仕代々相続、牛尾村和光院末寺紛無御座候。若し山海於後日迷惑ありし時は一切当方ニテ始末仕可、為後日手形如件
   元禄十二年卯(一六九九)九月三日
                                       下総国牛尾村行屋和光院
 
 このように正保年中には和光院末寺の行屋であったことは確かである。しかし元禄十二年以降、この行屋がどのようなことから消滅したかについて、知るてだてはない。