この社については、明治の『神社台帳』に次のように記されている。
千葉県管下下総国香取郡多古町間倉字居山
無格社 宇賀神社
一、祭神 倉稲魂命
一、由緒 慶長二丁酉年(一五九七)二月勧請ノ由古老ノ口碑ニ存ス
一、社殿 本殿 拝殿
一、境内 五拾弐坪
一、氏子 弐拾人 社掌宮本雄治
祭神倉稲魂命は農業の神で、稲荷信仰の対象とされている。
多古町内には東松崎に関東三大稲荷の一つといわれる松崎神社があり、また飯笹には多古町北部一帯の鎮守であったといわれる宇賀神社があって、両社とも祭神が同じである。
いずれから分祀されたものか明らかではないが、古老は飯笹宇賀神社からの分祀であるという。これは、加瀬を姓とする以外の家は飯笹宿之台から分かれたもので、この人たちが中心になって、かつての自分たちの氏神だった飯笹の鎮守をここに分祀したという理由からのようである。
本殿内に残されている棟札には次のように書かれている。現本殿の新築当時のものと思われる。
(表)聖主天中未 下総国香取郡千田庄大原郷間倉村法主
迦陵頻伽声
大行事常尺天 別当同村 延命寺
卍奉新造立当社稲荷大明神意願成就郷中繁昌之所
小行事四天王 証宥僧都満願之所 維時 寛保[壬戌]星(一七四二)四月吉祥日十四日
哀愍衆生者
我今皈依礼
神主 藤原氏榊原民部少吉胤敬白
(裏)天下泰平 鵜澤新兵衛
平山浅右衛門 平山藤重郎
叶家大工賀瀬武右衛門役人賀瀬源之丞
飯田佐平次 萩原伊兵衛
国土安全 賀瀬三郎右衛門
とあって、次の氏名が書かれている。「施主 鵜澤太兵衛 平山惣兵衛 平山友之助 萩原長左衛門 石神井佐左衛門 加瀬加左衛門 同名庄兵衛 石神井三左衛門 加瀬源左衛門 加瀬五左衛門 飯田作右衛門 鵜澤賀右衛門 鵜澤四郎兵衛 鵜澤藤右衛門 鵜澤勘兵衛 同名久兵衛 裏田老母 林村 屋根屋賀右衛門 宮人 三郎左衛門 惣右衛門」
また「村ぎねん」と称する祭事が毎年四月十八日に行われているが、現社殿の造立が四月十四日となっているのも、何かの関連があるのかもしれない。神社の祭事である「お備社」は一月十八日で、「風祭り」は九月一日に行われている。