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路傍の小祠・石宮など

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 旧街道沿いや山林の中には祠や石仏などが多く点在しているが、道路改修などのため土中に埋まったり、摩耗して刻字の読めなくなったものもある。主なものに次のようなものが見られる。
 道祖神 字松木台上り口四六二番地の山の頂上にある一基は刻字がなく、昔は山の下の街道沿いに祀られていたということである。
 字加茂台一〇三の五番地の畑の一隅にある松の根元に、大小三十数個ほどの石宮がまとめて立てられている。ここは上総・下総国境い道と、村からの道が交差する地点に近く、かつての江戸街道でもあった。
 刻字の判読できるものは「明和七寅(一七七〇)九月吉日 施主間倉十助」、「天保十五辰年(一八四四)二月吉日 加瀬氏」、「天保十二丑(一八四一)十一月吉日 軍治氏」、「明治十四年(一八八一) 鵜澤嘉右衛門」、「大正九年(一九二〇)五月建之 鵜澤角亮」などがある。
 道標 国境いの街道が、集落に入るあたりから北に向かって東側が間倉、西側が住母家、菱田(ともに芝山町)となって字永井芝まで続くが、かつては年貢米を馬に背負わせて神崎・源田河岸へと運び、そこから船に積み替えて江戸へ送った重要な陸送路でもあった。この道に、古びた石の道しるべが何基も建っている。それは次のようなものである。
 字、加茂台二〇〇番に道祖神と道をはさんで左側に一基あり、それには「西国順礼供養塔 なりた 江戸 すもげ さくら 東まくら 以いささ 九ケむら 天保十四夘(一八四三)十二月吉日 北けんた なめ川 南志ば山 は満」とあり、菱田・間倉・東佐野・高津原・坂志岡などに住む十五、六人の人名が刻まれている。
 同一〇三の五番地に、道祖神と並んで道標の断片が置かれている。これは成田用水事業のため旧街道が改修されるに当たって、この道標を一時移動したときに壊されたものであるというが、もと建っていた付近に大きな断片があり、次の刻字が読み取れる。「西奉順礼  かも なりた さくら 江と 北 けんた なめかハ さハら まくら いいささみち 東 いのみち      南 はま とうかね   二夘十一月日」。
 前記道標から北へ二〇〇メートルほど行った同二〇二番地にも一基あり、これも道路改修のため、右側にあったものが左側に移された。「西国順礼供養 たこ 中むら 八日市ば(場) か茂 志は(は)山 東金 此方まぐら いひさゝ 九ケむら此方げん田 なめ川 さはら 天保五甲午(一八三四)十二月」とあって、間倉宗兵衛、三衛門、佐左衛門、藤兵衛、太兵衛ほか一五カ村五〇人の名が刻まれている。
 もう一基の道標は字五井田四七四の一番地にある。国境い道は、ここで両断されて切通しとなっていた(旧鉄道敷地であった)が、今また成田用水事業によって架橋され、旧街道が形を変えて復旧し、字永井芝へと続くようになった。
 ここの道標は倒れていて刻字の全部は読めなかったが、明治三十七年三月建立のもので、「西国拝礼供養塔 左菱田三里塚 成田 十京 右是ヨリ二丁程行 源田 なめ川道 先達鵜澤萬吉 間倉区萩原房吉 石神井栄治 石神井佐仲加セ(瀬)桃次郎 加セ(瀬)峯吉 平山政五郎 平山源之助 菱田区小川伊十郎 菅澤庄左衛門 此方満久ら 飯笹 多古 八日市場 てうし道 明治三十七年三月吉日建立 此方二川 芝山 東金 九十九里」これらの字が読み取れた。
 供養塔 字加茂台一〇二番地にある。ここは旧街道から加茂坂を一〇〇メートルほど集落内に入った場所で、次のように刻まれた二基の石塔が建てられている。「奉供養 夏念仏 宝暦十庚(一七六〇) 月十六日」、「奉待庚申七ケ歳念願成就 下総間倉村信善男子二十余輩 享保十二丁未星(一七二七)閏正月吉日」。
 庚申塔 右と同じ場所にあり、「万延元年庚申(一八六〇)三月吉日」と刻まれている。今はなくなったが、庚申講名残りの塔である。
 弁天様 字溜井四八五の一番地にある。旧成田鉄道路線(現在は多古町によって買収され、町道に編入されている)沿いで菱田(芝山町)に近く、かつては池の中の島に祀られていたといわれているが、現在は、山裾の平地の隅に神名も記されぬ小さな石宮として祀られているだけである。
 浅間社 字向畑一四七の一番地にある。飯笹に隣接する山林の頂上にあり、急坂を登って行くと一基の石宮がある。「浅間大明神 文化二乙丑年(一八〇五)九月大吉祥日 間倉村郷中 願主萩原長左衛門」と刻まれている。
 大六天社 字居山三一七番地にある。鎮守社に続く地域一帯の山頂に大きな椎の木があり、その下に祀られていて、「大六天 文政四辛巳(一八二一)十一月吉日間倉村講中 願主賀瀬三郎兵衛 鵜澤太兵衛」と刻まれている。
 三峯社 右の大六天社と同番地で、併立して建られている。雨覆いの中に木造の小宮が二社納められている。神名は記されていないが、その符札は三峯神社のものである。