境内には、尊崇の厚さを偲ばせる数々の奉献物があり、それぞれ次のように刻字されている。
鰐口。本殿前にあり、「文久元酉(一八六一)十二月 一鍬田村氏子中」。
石燈籠。「御神燈 天保六乙未歳(一八三五)七月吉日 武運長久家内安全 願主勘之丞」。
石燈籠。「御宝前 文政七甲申(一八二四)正月吉日 願主瓜生兵右衛門忰広吉」。
石燈籠。「奉納御宝前 明和八年辛卯(一七七一)十一月吉日 施主瓜生勘之丞」。
石燈籠。形が崩れている。「嘉永六年丑(一八五三)二月 日 竹利兵衛」。
石燈籠。形が崩れている。「天保二年辛卯(一八三一)七月吉日 願主瓜生勝右衛門娘にや」。
石手洗い。「奉納西国巡礼講中 天保六乙未(一八三五)二月吉日 瓜生勘之丞 瓜生兵右衛門忰広吉 秋葉藤右衛門 大竹久兵衛 瓜生勝右衛門 秋葉藤兵衛忰藤次郎 高木平右衛門 瓜生長左衛門」。
また、本殿を囲むかたちにいくつもの小石宮が祀られている。
秋葉社。石造、「天保三辰(一八三二)四月吉日」。
子安社。木造、雨覆いがつけられていて、神前に小鳥居がある。この左手に神名不明の石宮が二基ある。秋葉藤右衛門家の氏神ともいわれるが、ここに祀られた理由は同家でも不明の由である。
三峯社。木造の小宮である。現在も集落の全員が講中になっていて、毎年一人が本宮(埼玉県秩父郡)に代参している。代参の当番者は本宮を参拝して郷中安全を祈り、お札を請けて帰る。そして、当地の小宮を清掃の後、竹ヒゴで井形の柵を作り、十字に交わる四カ所へ輪状の竹ヒゴを通した独特のものを社前に供える習わしが、いまも続けられている。そのいわれは不明である。