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由緒・縁起

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 多古第二小学校分校と庭続きの字宅地二九二番地にあり、多古町内でただ一カ寺の曹洞宗寺院である。『社寺明細帳』には次のように記されている。
 
    千葉県管下下総国香取郡多古町一鍬田字山之下向
                 小本寺長興院末
                   曹洞宗 福泉寺
  一、本尊   薬師如来
  一、由緒   不詳
  一、堂宇間数 間口四間奥行七間
  一、境内坪数 六百五拾三坪 民有地第一種
  一、住職   三浦嶺明
  一、檀家戸数 弐拾三戸   以上
 
 このように、由緒は不詳となっているが、当時過去帳の冒頭に「前永平長興五世 当寺開山南渓用浦大和尚 元和九年癸亥(一六二三)八月十八日示寂」と開山和尚の入滅が記され、『宗務院記録』には、「永禄二年(一五五九)南渓用浦開山」とある。
 曹洞宗は日本禅宗三派(一般には臨済宗・曹洞宗・黄檗(おうばく)宗)の一つで、禅宗はインドの達磨大師によって中国にもたらされたが、わが国では、建久二年(一一九一)栄西が宋から帰国して臨済宗が、承応三年(一六五四)隠元(明僧)が来朝して黄檗宗が、安貞元年(一二二七)道元が宋から帰って曹洞宗がそれぞれ伝えられ、福泉寺の属する曹洞宗は、道元が寛元元年(一二四三)福井県永平寺町に開いた吉祥山永平寺を総本山としている。
 仏教の真髄は煩瑣な教理の分析によって求めるのではなく、座禅修道によって直接に自証体得するものであるとする禅宗の実践的主張が武士の心境に結びついて、とくに武家社会を中心に広く信仰された。
 福泉寺の現在の建物は、数度の火災の後、弘化四年(一八四七)に再建されたと伝えられている。
 内陣中央には本尊の薬師如来像、右に禅宗の始祖菩提達磨大師像、左に同宗の一派である南宗の法系を継いだ曹洞宗の遠祖・青原行思(せいげんぎょうし)の像が安置されている。