軒先に吊された半鐘には「下総国香取郡一鍬田邑福泉寺 願主拾壱世麟周大和尚 同寺拾二世悟宗代 薬師講中 勘之丞 久兵衛 兵衛門 藤兵衛 平右衛門 勘右衛門 勘兵衛 庄兵衛 総右衛門 四郎左衛門 源之丞 新兵衛 江戸粉川市正作 総兵衛 重右衛門 重左衛門 勝右衛門 三郎左衛門 世話人藤右衛門 長左衛門 銘曰斯此法鐘通十方空聞声悟道功鳴無窮 文化十一年甲戌歳(一八一四)二月吉日」とあり、唐金燈籠一対には「下総国香取郡一鍬田邑福泉禅寺什具〓二十一世愚文代 施主大竹久兵衛 慶応三年丁卯年(一八六七)六月十五日」と記され、この外に作者や時代は不明であるが大幅の釈迦涅槃画などがある。
道拙和尚(星華学院の項参照)の頌徳碑が建っている裏の石塔場には元禄元年(一六八八)あたりからの石塔が立ち並んでいるが、その中の瓜生家墓地の一角に榎木の古本があり、その根に抱えられるかたちで石棺が露出している。この被葬者などについては不明である。