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妙福寺跡

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 字宅地三一五番地で、福泉寺と並んでいる。現在は多古第二小学校分校敷地になっているが、『社寺明細帳』には次のように記されている。
 
    千葉県管下下総国香取郡多古町一鍬田字台
                               中本寺蓮福寺末 妙福寺
  一、本尊 観世音菩薩
  一、由緒 不詳
  一、堂宇間数 間口四間 奥行五間
  一、境内坪数 参百参拾壱坪 民有地第一種
  一、住職 遠藤照宥
  一、檀家戸数 壱戸     以上
 
 すでに、当時の詳細を明らかにすることはできないが、明治三十七年四月一日から旭尋常高等小学校(現多古第二小学校)の分教場となっている。明治五年に学制が公布される以前から、福泉寺二十一世愚文が妙福寺の建物を使用して、寺子屋教育を行ったと伝えられ、寺子たちの手による和尚の碑が、明治二十四年に建てられている。
 石塔場入口に小さなお堂があって、中に二体の地蔵尊が安置され、扁額に「このよには、しょびゃうなかれと、ねがいをき、のちのよはまた、くぼんごくらく」「のちのよを、おそるるひとは、かふおんじ、とめてとまらぬしらたきのみづ」と、真言宗寺院であった名残りがわずかに認められる。
 なお、当地方の真言宗檀徒には、四国八十八カ所に見立てて近隣寺院の札所めぐりをする十全講があり、この行事を大師参りと呼んでいるが、かつて妙福寺は六十一番札所としてその名があった。
 いまもこの地蔵尊には、毎年四月になると講の人たちが参詣に訪れている。