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熊野大神

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 鎮守社で、字堂島二〇七六番にある。集落の東端に位置し、かつて開田のために土を採ったことがあるが、そのとき境内の部分だけを削り取らずに残したものであるという。

熊野大神

 水田地帯の真ん中に独立した円形の丘で、別名船越の丸山と呼ばれ、境内地に登って見れば、東の裾を栗山川が流れ、北は水田中に浮かぶ島の集落越しに多古・南並木を望み、南は牛尾まで広がる水田から、横芝町北部の家並みが見える。またこの場所は大島城跡とも伝えられ、北中字窪(久保)に住み、高田・島などに城(砦)を築いた千田胤貞の築城であるといわれる。遺構などは見られず、伝承だけが残されている。