字大塚二三五一番にあるか、粟田集落を一望にする台地の丘上で、八四段の石段を登ると銅葺欅造りの社殿があり、扉には竜の彫物が見られる。明治の『社寺明細帳』には、次のように記されている。
千葉県管下下総国香取郡東條村船越字大塚
無格社 八坂大神
一、祭神 須佐之男命
一、由緒 寛文十二年(一六七二)創立ノ由古老ノ口碑ニ存ス
一、社殿 本殿
一、境内 百六拾坪
一、氏子 弐拾七戸
社前の直径一四センチの鰐口には「寛文十一辛亥天(一六七一)二月吉日 船越村鈴木金左衛門」の刻銘があるが、これは右の由緒にいう創立の寛文十二年より一年前のものである。
小型の手洗石には「奉納 当村粟田鈴木伊左衛門 忰丑之助 文政九丙戌(一八二六)六月吉日」。
本殿に向かって左方にある雨屋に納められた木製の小宮は、神名が記されていないが、疱瘡神であるという。
以上、船越地域内に祀られた神社について記したが、その創立について気づくことは、熊野大神の文禄元年(一五九二)を除いて、他の四社は口碑であるとはしながら、すべて寛文十二年(一六七二)の創立としていることである。
寛文十年十二月十八日、多古藩主松平勝易は弟の勝光と勝郷に各々五百石を分知し、勝郷がこのときから船越の一部を知行地としていることはすでに述べたが、あるいはこの四社の創立が松平氏の分知と関係があるのかもしれない。