実相院について、明治の『社寺明細帳』は当時の様子を次のように伝えている。
千葉県管下下総国香取郡東條村船越字堂島
天台宗 観音寺末 実相院
一、本尊 観世音菩薩
一、由緒 永禄二年(一五五九)創立ノ由古老ノ口碑ニ存ス
一、堂宇間数 間口四間 奥行四間
一、庵室間数 間口五間 奥行四間
一、境内坪数 弐百六拾九坪
一、境外所有地 (省略)
一、檀徒人員 弐百四拾八人
当寺は多古町内ただ一つの天台宗寺院である。
天台宗は、延暦二十二年(八〇三)唐に渡り、台州竜興寺の道邃(どうすい)・仏隴寺の行満から天台学の法流を学んで延暦二十四年(八〇五)に帰国、後に初めて嵯峨天皇から大師号を贈られて伝教大師となった最澄を創祖とし、比叡山延暦寺を総本山とする宗派で、当寺は隣接する芝山町の天応山観音教寺の末寺である。
観音教寺は天応元年(七八一)の創建と伝えられ、「芝山の仁王様」として親しまれている寺で、鎌倉時代には八〇余りの末院があったという。
実相院は明治の『社寺明細帳』に記された後、年月は不明であるが、火災によってほとんどの資料を失ったため、その詳細を知ることはできない。