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寺域内の小宮・石塔など

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 現在の本堂は庫裡も兼ねていて、農村の住家の形と変るところはない。内陣には、中央に阿弥陀如来像、向かって右側に開祖伝教大師像、左側に中国天台宗中興の祖といわれ、最澄が唐で教えを受けた道邃・行満の師、荊溪大師像が安置されている。
 境内の右奥に閻魔(えんま)堂があって、一・八メートル余の閻魔大王座像が安置されている。そして、五幅ある地獄絵の軸物は、于蘭盆会にかかげて供養するという。また、旧閻魔堂は欅造りの建物であったが、建築様式の古さのゆえに、他村へ移築されたということである。
 閻魔堂に並んで大師堂があり、高さ三五センチほどの大師石像が安置されている。
 この大師堂は香取郡から山武郡内を巡る札打(ふだぶち)の札所になっているが、軒下に次のような御詠歌が掲げられている。
 
   かばねをば たかのゝやまに とゞめおき
     こゝろは むろに ありあけのつき
 
 境内に普門品供養塔が二基あるが、嘉永四年(一八五一)と明治二十五年にそれぞれ建てられたものである。
 如意輪塔は高さ七〇センチほどのもので、「十九夜講中施入之善男善女一連託生」とあり、年号部分が欠けている。
 六〇センチほどの庚申塔には、表に青面金剛像があり、裏に「安永五丙申天(一七七六)三月大吉日 部田講中」と刻まれている。
 梵鐘は、第二次大戦中供出させられたが、次のように刻まれていたという。
 
「香取郡千田之庄船越村小嶋山實相院 寶暦七丁丑天(一七五七)十一月吉日 住職讃海代 願主同村浄春木川彌右衛門 霞加左衛門 木川市郎左衛門 江戸鑄物師鈴木播磨大椽作」。