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福万寺跡

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 字侭田(ままだ)二二二七番の一周辺であるという。後記飯綱社のふもとにある集落の中心地で、多くは宅地になっていて遺構などは見当たらない。
 『千学集抄』にいう「むさの牛尾なる福満寺」であり、前出のように『多胡由来記』も「こゝに又、牛尾・船越・谷ノ台も一円領地す。牛尾右近太夫胤仲在城し、其の由来を以って牛尾村と云ふ。元は継(まま)田と申しける――」と記している。いつの日かここ福万寺跡から牛尾氏に関する重要な史料が発見されるかもしれない。