越後地震由来

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【製本表紙、縦25cm、幅17cm】
越後地震由来
【管理ラベル「W453 トオ」】
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【角印「徳島県立図書館蔵書」】【角印一つ、不詳】【スタンプ「13356」】
天地開て不思議を言ば近江湖水に駿河の富士よ
たんだ一夜に出来たといへと夫は見もせぬ昔の事よ
爰にふしぎは越後の地震言も語るも身の毛かよだ
つ歳は文政十一年の時は霜月半の五日朝の五ツとおぼ
しき頃にとんとゆりたる地震の騒き煙草一ふくおと
さぬ内に上は長岡新居潟かけて中に三条今町見
付つぶす跡から一時の烟り夫に続て与板やつば
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た在郷村々其数しらずつぶす家数は幾千万
ぞ扨も梁柱や桁に背骨肩腰頭を打れ目鼻
口より血を吐なから遁れ出んと狂気のことく
もかきくるしみつい絶果る手負死人はかき
尽されず数もかきりも有増ばかり親は子を
捨子は親を捨絶へぬ夫婦の中をもいわず捨て逃
出す其行先はほのふもへ立天地は破れて砂を吹
出す水もみあげて行に行れす外内に風ははげ
しく後を見れば火のこ吹立火炎をかむりあつ
やせつなや苦や絶なや中にあわれは手足をは
さみ肉をひしかれ骨打くたき泣つ呼ひつ助て
呉と呼ど招けど遁る人も命大事と見向も
やらす覚悟/\とよばわりなから西に東に
南に北に思ひ/\に遁るゝ声は実にやきやう
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くわん大きやうくわんの責も是にはよもまさらし
と見るもなか/\骨身に通ふる今は此世か崩れ
て仕廻みろく出世の世と成やらん又はならくへ
沉みもするか言もおろかやかたるも涙せつな念
仏となへて見ても何のしるしもあらじ恐しや
昼夜うごきは少もやまず凡七十四日か間親子
兄弟顔見合てともに溜息つき居るはかり愛
津高崎また其外に御領御陣屋籠本衆も思々に
お手当あれと時わ時とて空打曇り雪はちらつく
寒さは増るそとに居られす涙の中に一家親類
より集て大工いらすの堀立小屋に殊に今年は
大悪作で米わ高直諸色は高し夫も前代未聞の事よ
是をつら/\考へ見るに士農工商儒仏も神も
道を忘れて利欲にまよひ上下わかたすおご
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りを極め武家わ武を捨そろばん枕夫を習ふ
て城下役人も下をしへたけ己はおこり昔違作
の咄しを聞に葛を掘たり磯菜をひろひ
それておのれか命をつなき年貢上納立しと
聞に今の百姓は夫とは違ひ少し違作の手
柄にても検見願ひの拝借抔と上へ御苦労懸たる
下は有の無しのと親方前は無勘定にて内
処はおこり米の黒ひは大損抔と味噌は三年
立ねば喰ず在郷村々も髪結風呂屋煎売の
小見世の床前見れは笛や三味線太鼓をかさり
役日物日の其時には若ひ者とも寄集つて踊
稽古の地芝居抔と遣ひ散して出所にこまり
壱ツ袷に縄帯懸て終に仕廻は他国へはしり
名子屋水汲奉公人も羽織傘足袋ぬり下駄よ
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下女や子どもは盆正月はいつち悪ひか縮緬帯よ
銀のかんさしへつこの櫛よ開帳参りの風俗見
れば旦那様より御供の立派夫はまたしも大工
の風ぎ結城の綿入博多の帯よ紺の股引白足
袋はひて朝は遅ふて休みか永ひ作料増ねは
行事ならぬ酒は壱日二度出せ抔と天を恐ぬ
我儘はかり日雇人迄夫見習ふて出入旦那も御
不沙汰ばかりやつと一日顔指出すさへも機嫌
とらねは日半遊ふ夫に順して町屋の普請
たがへ美々敷せり合故に二重垂木に赤金ま
きて家根はしのかや柱や桁は櫬つくめの
造作見れば御殿廻りか宮拝殿か前を通ふるも
肩身かすほむいかな困窮の年からにても年
貢家賃の用捨はあらし少し下るとみせ追
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立る慈悲の心かけしつふほどもなひはことはり
浮世の道理深く考へ知らさる故ぞ世間裏屋
の風俗見るに古ひ家持勘定厚く俄分限は万
事かひとひ悪ひ心は見習ひ安く裏屋店かり
ほてふり迄も米か安ひとけんしき高く在所者
をは足下に見なし五十もふけりや口米ある
と言にいわれぬ広言吐て夫は扨置此近年の清
僧禅師と勿体らしく忝无は白粉くさりそへるおけ
さは指身の匂ひあまの三衣は子持の匂ひ朝の勤わ
小坊主計宵の勤はかねうつ計居間の柱の状指
見れは様は九様て御存よりと紅粉のつひたる
かなふみ計門徒寺衆は利欲にふけり教化一座
に冥加は四五度祖師の法事は自坊の法事畳
屋根替造作普請娘仕付る継目をすると旦那
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集て我儘ばかりおごり相談先第一に法事
仕舞の咄しを聞は今度法事は時分か悪ひ
参詣不足でもふけが無ひと祖師の法事を
商ひらしく一目恥しずに咄しをめさる後生知
ずの新見の者も金をあぐれは信心者と住持弟
子もあしらひ違ひなむぼ信心了解の人も金
を上げねは外道者抔とて葬礼おさへ字判
せぬと上を恐れぬ法外ばかり寺は寺とて同行衆
もお講もどりの咄しを聞ば舅小姑は嫁聟
そしる嫁やむすこは舅のさんけそして近
年安心まても板子長歌親なひ抔とねても起
ても欲心はかり仏まかせの祖父祖母迄もあちら
こちらでつとめがちがひどれか誠かまよひかはれ
ぬ後生大事はたのまぬ方とすゝめなからも
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旦那をよせて金の無心はおたのみ方よ口へ
出さねばかいけにそむくおより合との相談抔
と知りもせぬ事うき立よふにおのもわからぬ
後生をすゝめ果は互ひにいさかひばかり中に
見事な了解を言へば他力ちかひと名目計
うそか誠か死ねば知れぬわけてつまらぬ法
花のおしへ他宗そしりて我宗自慢あまり
おしへかかたいしゆえに広ひ世界を小せまく暮す
仏嫌ひの神道衆も和学神学六根清浄祓たま
えと家財おはらひ清めたまへと我身のうへを祓ふ
口の不浄か穢たものを呑ず喰ずば言訳たらす
胸と心は唯諸の欲と悪との不浄で詰る禰宜の
社家しやの神主抔と神の御末と身を高ふれと
富をするやら操芝居山仕集めて山事はかり祈祷
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神楽も銭からござれ分て憎ひは医者衆てござ
る隣村へも馬駕に乗るしらぬ病も呑込顔
て少し容体悪ひと見れば人に譲りて己ははづし
さしの先より口先上手しろとばかして手柄
を咄しきんきよふりやく傷寒論も若ひ時
分に習ふた計たまに取出し工夫をすれと
闇の烏て分らぬ故にきかずさはらず薬の数を
たんと呑して衣服をかさり礼の多少て作
病つかひ病家見廻も裏家せとや八十日に一度
金になるのは毎日四五度されはお医者の掟
と言ふは銭や金にはかゝはるましく人を救ふが
おしへのもとよ道のいましめ守らぬ訳は欲か
ふかふて文盲ゆへそあむま取り迄夫見習ふて
上下もんで弐拾四文か通用なるにいつの程にか
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何国の町も頓て八文ましたるかわり力入れずに
手拍子ばかり少しなかひと仲間か憎む又は嫁入
法事の席へゆすりかましく大勢ひつれて祝儀
供養の多少をねたれならぬ在家も手余る噂
されは一々かそへて見れは士農工商儒仏も神
もくときたつれは違ひはあらし天のいましめ
今よりさとり忠と孝との二ツの道を己々か
職分守り常に倹約慈悲心ふかくおごる心を
慎むならはかゝる吾代の変事はあらしかゝる
困窮のあるまひものをされば仏も天道様も
恵み給ふて只世の中を末世末代浪風立す四海
泰平諸色も安く米も下直に五穀もみのり地
震処か町在々も子孫栄へて末繁昌のもと
ひなる惣しためしをあけて語る此身も
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つみふかきやう地震つふれて堀立小家に
しはしこもりて世の人々の穴と癖と
を書残し命もあら恐しや穴賢/\
 
        道楽斎
 嘉永二酉歳     満酔【落款「臼泉山人ヵ」】
 初秋中院写
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【裏表紙、文字なし】