元禄年中大地震・大火事記

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【表紙  右下に蔵書印】
 
 
元禄年中[大地震/大火事]記
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【右丁 白紙】
 
 
【左丁 四角印三箇所 】
常憲院様御代
一元禄十六年未冬十一月廿二酉ノ下刻天する□に
 して黒雲東北に現し月星の光り殊に冷しく其
 色く東南に稲光りし風西北烈し夜五ツ半頃俄
 に電動して大地震ゆり出し山川をたをし磐石を
 ふるひてたゝ其音雷のことし神社仏閣大小の家
 々町々一同にふるひたをす事一時に千軒に及ふ
 殿舎紅梁の落るひゝき四方にすさましく屋
 根天水桶江戸中壱ツも不残落かわら其外高
 くに有物の分はのこらすこけ落家内に有之物も
 水桶ぬかみそ桶の類皆ころひ打たをれ水棚の物は皆
 落鍋釜茶わん徳利類あたり合ちんから〳〵くわ
 くやなりしんとふ庭へかけ出しても立事不
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叶ころひ倒れ或大もく念仏観音経等と高らか
によみ小児女子年寄は只今世界めいきやくす
ると大声上てなき悲しむ声江戸中也物落う
たれて即死するも有怪我する人は何千人といふ  
事を知らす家居の潰れたるに押□に死す
るも多し此節地割人落死せし等と風聞した
れ共是は虚説なり御条の水川端馬場迠
之間地割て此広さ壱間計にふかさ七八尺に長
八九間程ツヽ割たり是川之方ふかき故割たる也常
之地われる物にあらす後の人よく〳〵心得へし
なん燈は皆油をゆりこほしきへるなりてんちん
すはやく燈すへし木にとらまるゝ下に居て
いへし家も急につふれる物にはあらす暫くゆり
 
て柱の貫ほそなと折て後家は倒れる物そかし
家をあわて出へからす怪我をせぬ様に静に出
し戸は早く明るかよし家敷つみては戸明ぬもの也
此節西丸下にて屋形〳〵みちんに倒ける其
屋敷〳〵は大久保隠岐守阿部豊後守加藤越中
守稲葉丹波守柳生備前守外桜田には永井伊
賀守酒井石見守同壱岐守日比谷御門の内青
山播磨守松平下野守戸田能登守土屋相模守
同山城守秋元但馬守井上大和守松平右京大夫松
平美濃守小笠原佐渡守築地辺には石川監物五
嶋兵部松平藤十郎其外数〳〵有之といへとも銘々
に其記さす此分家倒押に打れて死する人凡千
人に及惣御門見附〳〵は大手桔梗御門辰口御門
 
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 馬場先御門日比谷御門外桜田御門姫御門幸橋
 御門数寄屋橋御門虎之御門吹上御門常盤橋
 御門筋違御門四谷御門浅草御門清水御門平川
 口御門神田橋御門壱ツ橋御門雉子橋御門小石
 川御門和田倉御門市谷御門等也其外曲輪の石
 垣礎まて悉く崩れ倒れ類かゝる所に甲府中
 納言綱豊公桜田御殿ゟ出火黒煙天を覆ひ
 猛火炎をちら〳〵折節風烈しく五丁十丁飛越
 へもへ移りけるゆへ諸人肝を潰し逸足を出し
 逃あるく二ツの難に男女魂をとはし騒動す
 行先寸地もなく大路を閉る中に武家之士鑓
 長刀を以て乗物之先を払逃行有地震少しし
 つまりけれは火事も静に鎮りける間家財雑
 
 具おひかゝひ家々に帰らんとする時寅之刻と覚し
 き時に海辺俄に動揺してすわ津浪よと云ける
 小市丁武家一同に又驚き逃んとす此時海上を
 見るに髙浪海面三町計も打かへると見へたり
 然れ共無程鎮りける
一又相州小田原房州総州築州地震総州者江戸の
 一倍せりと也加州廿二日の夜大雷所々に落る事
 三七ヶ所人死夥し相州小田原は廿二日山川万里
 ひゝき岩石を震ひ出し大嶽をく崩せり小田原
 の城下町々大半倒れ其中に漸逃れけるも有け
 る所に城中ゟ出火して風烈しく四方え吹散し
 在々時時に炎盛んに僧俗男女家財を捨死
 をまぬかれける所に廿三日朝津浪海面十四五
 
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 丈高く黒雲の如く八里が間に打上りたり死する
 人弐千余人たま〳〵死を逃れし者とも静に成
 りて家に帰り見れハ家財不残流失□と身
□□に成嘆き悲しむ漸親類知者の人竹木
 を持来り家居をしつらひ雨風を凌けるに又
 海上鳴れ□り津波打来りて牛馬壱疋も不残溺
 死両度に死する人三千弐百余人房州之地震両
 国之人死四千八百余人と訴
一江戸の地震夫より更に止事なく尤最初のこと
 くハ成りけれ共一時の内に二度三度或は静成
 る時は一時二時に一度ゆりける内夜もねる事あ
 たわす表へ小屋を懸け又は上へしふ紙なと張
 畳を敷諸人安堵ならす斯為二三日ゆりける間
 
 神田明神山王芝神明所々にて湯花をさゝけ祈
 けるに重てゆり返し可有少又ハ幾日頃毎度に十
 倍してゆり又ハ泥の海になるのと色々霊説を云
 ふらし例之江戸の事なれは世上様々の風説鹿
 島の要石三尺計り抜出たりなますねかへりを
 打たるゆへ大地震ゆり候又近日寝かへりを打用
 心せよと鹿島かつけ也と諸人さわきしこそ
 おかしけれ又大地震の時分水桶ぬかみそ桶な
 と臺処へ打かへり庭へ一面にこほれ打まけけ
 る所へ主人家来あわてさわきはたしにて飛
 んて出ぬかみその中へ飛込のふ悲しや世界
 泥の海に成たりとさけふも有実やとふ漬
 の大根なと足えさわれハうなきか魚かと疑
 
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 ひおかしかりし事共なり
一然るに廿九日酉之刻ゟ小石川水戸の御屋敷
 ゟ俄に出火し大広間へもへ上り猛火天をこ
 かす宵の程ハ風なく静かなりしか戌ノ刻ゟ風
 烈敷片時に御茶の水え吹出し松平筑後
 守石川備中守三宅備前守牧野周防守本多弥
 兵衛聖堂を限り本郷町々丸山の寺院御寺町
 之方は春木町ゟ本郷三丁めへ出丸山本妙寺の
 方ゟももへひろかり松平加賀守同大蔵大輔同
 飛騨守本多中務大輔等屋敷〳〵不残類焼
 神田明神下建部内匠頭酒井隼人堀左京
 藤□□新居伊織初明神之社迠一朝之煙
 りとなり畢ぬ聖堂の余煙筋違橋之内外へ
 
 廻り太田摂津守本多能登守松浦内蔵介町は須田
 町ゟ日本橋江戸橋四日市青物町材木町小網町茅場
 町霊厳寺在家町々北新堀より深川へ押通り海辺迠
 本郷之方は湯嶋ゟ池之端へ焼ぬけ永井能登守板倉
 頼母榊原式部大輔其外町々焼払ひ黒門前井上筑
 後守立木伊勢守旗下屋敷〳〵上野は残り下谷通
 小笠原右近将監本庄安芸守近藤備中守安
 藤長門守藤堂大学頭同備前守宗對馬守水野
 隼人佐竹右京大夫太田原頼母石川主殿頭内
 籐式部少輔大関弾正福原内匠戸田淡路守其
 外旗本屋敷〳〵四方八方へふきちらし江戸中一面
 に火になるかとおそろしく老若男女火に包まれ煙
 に巻れ死する物数を知らす逃行先々焼ふさかり行
 
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事あたわす籠の鳥網の魚出へき方なくなき悲し
む声天地にひゝき浅間しく大小名の馬共放れ出
其中へ馳飛数万人の中へ飛込蹴倒し蹈殺し
怪我人七百人に及ふ亥刻より風いよ〳〵強くなり
伝馬町住吉町堺町大坂町横山町馬喰町へ焼ぬけ
浅草御門松前志摩守伊奈半左衛門村越頼母
酒井左衛門松平肥前守牧野備後守松平越中守
戸田能登守堀長門守土井式部少輔同甲斐守同周防
守同主水正安藤長門守酒井雅楽頭水野隼人正土
屋相模守関伊織誓願寺前遠藤主膳甲斐庄
喜左衛門市橋下総守大澤次郎助瀧川山城守大関主
殿久永内記米澤周防守細川玄蕃頭彦坂九兵衛九
亀剛之助近藤彦九郎京橋甲斐守新庄主殿
 
井上主殿酒井下野守等焼亡たり然るに所々逃廻
りたる男女老若小児本所の方へ逃んと浅草見附
へ還りしに柳原の火濵丁の火押廻りて浅草見附
へ焼かゝり浅草橋も焼落けるゆえ渡り還りし者
焼死水に入溺死する者七百余人松平内匠頭本
多肥後守同兵庫頭松平日向守松平美濃守中
屋敷を焼払ひ数百宇の町々類焼両国橋ゟ本
所へ飛然るに囚獄司石出帯刀罪人共を珠数繋
にして□具し両国橋へさしかゝり退きけるに込合
通りかたく致へき様なく厳感を以諸人を留科人を
通しける然るに此橋の火の御番九鬼大和守家来
大勢にて橋の前後に関を構へ堅番をして渡
らんとする者を悉く押し留ける故数万の老若
 
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男女跡ゟは火に追れ先へ行事はならす大風に煙
は盛んに押て来り其泣さけふ声さなから地獄の有
様也かゝる所へ藤堂和泉守佐竹右京大夫の両奥
方女中数百人召具し両国橋へ行かゝりけるに九鬼
の家来人を留て壱人も通ささりける両士大に仰
天していかゝせんと思ひける折に騎馬之士下知して
出けるは火難を逃れんとするに道を通さ斯す
る内に火来火中に焼死事は目前也迚も死すへ
き命也主人を助け大勢の婦人を助我壱人腹切る
何の事か有んと皆刀を抜九鬼の家来へ打てかゝ
る九鬼の人数此之躰に辟易して八方逃退ける依
て両家の奥方之輿をはしめ下女下男難なく橋
を渡りて本所の方へのかのかれける是を幸ひと数万之
 
大勢一同に橋へ押込渡りけるさする内余□盛ん
に橋きわまて焼来り川へ飛込ものも有火に包れ
煙にむせひ水に溺死するもの幾百人といふ事を
しらす其時火橋杭にもへ移りけれは諸防んと
すれ共橋の上へ数万の人にて透間なく防へき様も
なかりし内橋板欄干にもへ付けれは人の上へ乗越又
は川へ飛込も有なし歴々の鋲打し乗物なと目より高
く差上けれ共もみ合内倒し駕篭をみちんにふ
みくたき身に疵を請たる者幾人といふ事なし
其時橋半より焼落けれは数百の男女老若小
児一時に川へ落水底に沈み壱人として助る者
なし中にて十間計焼落けるゆへ跡成人は知らす
前成人は跡ゟ押れて□ろ〳〵と川へ落死ける
 
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橋不残焼落此時爰にて死する者弐千六百人余夫ゟ三
縁寺へ火移り六目より南本所を焼払ひ翌月朔
日巳の上刻に火は漸鎮りける大小名の屋形三百余軒
町々弐万軒余其外社堂寺院其数を知らす南北
二里不と東西三里余之所昨くとして辺りもなく荒
茫たる野原となり翌月十二月朔日也夫ゟ親を尋
子を失ひ主人を失ひ妻をなくし男を尋候人両
国の川端に来り難き悲しみ尋ける段々にしが死骸を
引上つみ重ねならへ置たる有様川岸に塩肴を
つみしかことく恐ろしき事共あわれなる有様な
り主ある人は死骸を持行数万の男女泣悲しみ
壱人〳〵に尋改目もあてられぬ計也酉の年大火
事如斯のよし申伝へけれ共あまり夫にもお
 
とるましき天変なり主知れぬは皆無縁寺へ葬
海に流れ出たる死骸も幾百人といふ事を知ら
す二三日過て水底より浮上りて川流に成も夥
し其中に盗ひと来りてうそなきに涙悲に人を尋
るふりして死骸を壱人〳〵さくり懐中の鼻紙袋守
ごく袋首に置たる金財布なと皆取けるこそ誠に正
真の鬼也と人々云あへり夫ゟ大小名町に迠相応
〳〵に仮り小屋を建雨風を凌きける金銀をちり
はめたる旧舘一朝の土灰と変して浅ましかりし
有様なり富貴の町人も家蔵を焼妻子を失ひ
親を失ひ手と身からに成も有無是惟本国へ行
も有又は出家に成も有乱心して自滅するも有
かゝる事を見ながらも此時焼ぬ町人共は悦竹
 
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木を高売して金銀をもふけ莚こも百文に弐枚
草履一そく廿文に売買す小屋の内に親族うち
集り日夜涙悲しむ其上十二月廿二日酉刻ゟ大雨
三日三夜□やちくを流しけれはかり小屋に住ける
者とも寒に雨もり氷りて衣服は古し温方を得へき
食物なけれは女童又は虚弱のもの多凍死病
死せるもの家々に多かりける廿五日より雨やみぬ
明暦年中鳥酉の年の大火事ゟ五十年に当りか
ゝる天火地妖に人多く滅亡する事過去一業
のかんする所也平生心置へき第一也
 
于時明和五酉秋此書をかり出して写すもの也
五十年六十年に一度宛はかゝる大変も有か天地
変也前車のくつかへるを見てこう後車のいまし
めとす古人いへり如斯の時節に出合ましたきもの
にもあらす遁る事は或へからす只其時の用
意兼而心得火事地震の節うろたへすかねて
心懸るを知恵といふ
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我古稀迠長命して此書を写しせんなき
事なれとも後の人のなくさみ咄しの種又心有
人は身に考へ知りて用心をなす第一也其為
に書残す者也
       武江茅場町住
           中田竹翁
             七拾歳
 
【左頁 白紙】
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【裏表紙】