[口絵]
序文
凡例
富田林市史 第一巻 目次
考古編
第一章 富田林をめぐる自然
第一節 地形と地質
富田林市の位置と地形の概要
花崗岩の山地金胎寺山
嶽山とサヌキトイド
羽曳野丘陵
丘陵をつくる地層大阪層群
大阪層群の形成
アズキ火山灰
大阪層群中の化石
羽曳野丘陵の背斜構造
富田林背斜と六甲変動
富田林市の中心部石川の谷
石川と天野川の河川争奪
石川谷の段丘地形
段丘地形のなりたち
富田林付近の段丘地形
石川沿いの氾濫原
第二節 植生
富田林付近の植生
植生の変遷
ウルム氷期以降の植生の変遷
富田林市付近の現在の植生
原植生としての照葉樹林
二次林としてのアカマツ林
第三節 人間活動の環境としての自然
人間と自然環境
石川谷に人間が活動し始めたころの自然
人間活動の活発化と植生の変化
人間活動と地形
補遺 羽曳野丘陵の象化石
第二章 考古学からみた富田林
第一節 富田林の考古学的環境
『河内名所図会』以前
地域社会との関連
遺跡の発見とその価値
市域の地形的環境
第二節 調査研究史
木内石亭の奇石収集
モースと大森貝塚
ガウランドの富田林滞在
古墳研究の開拓者
神田孝平と錦部の古墳
お亀石古墳の調査
河内終末期古墳の研究
遺跡の分布調査
国府遺跡の調査と旧石器
喜志遺跡の初紹介
石川流域寺址の調査
飛鳥時代寺院址の認識
錦織縄文遺跡の発見
開発と文化財破壊
真名井古墳の調査
古墳時代の地域社会
相次ぐ古墳の破壊
ヲガンジ池瓦窯の調査
文化財の分布調査
集落遺跡の調査
第三章 縄文時代の富田林
第一節 概説
縄文時代の自然環境
縄文時代の海進と海退
市内の縄文遺跡の分布
府下の縄文遺跡
大阪南部の地形
石川流域と国府遺跡
先土器時代の遺物
縄文前期の遺物
縄文前期の土器文化圏
採集生活と集落
縄文集落の行動圏
石川谷に進出した縄文人
縄文前期の人口推定
縄文時代の葬制
サヌカイトと二上山
サヌカイトの成因
縄文人の石器資源
放射性炭素による年代測定
錦織遺跡は約五〇〇〇年前
縄文土器の技法
錦織遺跡の縄文人
今後に残された問題
第二節 市内の縄文遺跡各節
1 錦織遺跡
遺跡の位置と現状
縄文土器の施文と型式
錦織と国府の縄文土器
錦織出土の各種石器
2 伏見堂遺跡
石鏃と縄文土器
3 佐備川遺跡
分布調査と各種遺物
遺跡の性質と地域環境
4 寺ケ池遺跡
各種遺物の種類と特色
第四章 弥生時代の富田林
一 弥生文化の成立と青銅器
弥生時代の人びと
稲作農耕開始の問題
金属器文化の伝播経路
多鈕細文鏡と銅鐸
石川谷の銅鐸発見例
銅鐸の用途
二 弥生集落遺跡
中期から始まる集落
河内の遺跡分布
前期に始まる平野集落
石川谷の壺井遺跡
喜志・東阪田と中野遺跡
河内長野市の塩谷遺跡
弥生時代の自然環境
東阪田遺跡の調査
低地集落をとりまく環境
台地集落成立の一要因
河内の土器文化交流圏
三 喜志遺跡の石器
石器の豊富な喜志遺跡
石器の出土量のもつ意味
莫大なサヌカイト片の出土
サヌカイト石器の製作実験
船橋遺跡の石屑ピット
喜志遺跡の石鏃の形態
石製武器のもつ意味
中期の狩猟生活
四 後期の高地性集落
石川谷の高地性集落
東山集落遺跡の場合
円形と方形の竪穴住居
土器と石器
第二節 市内の弥生遺跡各節
集落遺跡の増加
石川河岸段丘上の遺跡
1 喜志遺跡
喜志遺跡の範囲
集落遺構の分布
遺跡の東西両限
一九七〇年の調査
一九七一年の調査
溝と第Ⅱ様式土器
一九七七年の調査
一九七九年の調査
特異な焼土壙遺跡
遺跡層位の状況
各種の石器
第Ⅱ様式土器の特色
第Ⅲ様式土器の特色
出土石器の特色
表面採集の石器
2 中野遺跡
遺跡発見の端緒
一九七八年の調査
一九八〇年の調査
溝遺構出土の遺物
土師質長頸壺
古代・中世の遺物
中野の弥生式土器
中野の須恵・土師器
3 原田・細井遺跡
分布調査の成果
4 打製石槍・五軒家出土
石槍の剥離調整法
5 滝谷遺跡
丘陵上の集落遺跡
竪穴住居址と手焙形土器
第五章 古墳時代の富田林
一 古墳の出現と社会的背景
大阪南部の古墳分布
古墳時代の四区分
『記・紀』と陵墓考証
「前方後円」の名称起源
古墳研究の問題点
アジア史と日本の墓制
古墳の出現と源流
二 河内南部の前期古墳
河内南部の二つの型
集中型の分布例
玉手山古墳群の特色
竪穴式石室と粘土槨
前期古墳の遺物
松岡山古墳群の特色
河南の前期古墳の二相
畿内勢力の誕生と河内
三 石川谷の前期古墳
分散型の古墳分布
1 市域内の前期古墳
鍋塚古墳の構造と遺物
真名井古墳の構造と遺物
神社を中心とした古墳群
廿山古墳の構造と遺物
板持丸山古墳の環境
付近の古墳群
3号墳の構造と遺物
板持古墳群の特色
市域の前期社会
前方後方墳の特色
風土記の村君の説話
2 市域周辺の前期古墳
御旅山古墳の構造と遺物
太子町の前方後方墳
大師山古墳の構造と遺物
四 三角縁神獣鏡・碧玉製紡錘車・短冊形鉄斧
市内出土の銅鏡
真名井の三角縁神獣鏡
内区の文様
外区の文様
中国鏡の変遷
魏国の鏡と邪馬台国
三角緑神獣鏡の謎
鏡の研究がもつ重要性
真名井鏡と同じ鏡
真名井鏡舶載説
真名井鏡仿製説
化学的な成分分析
鏡の配分と大和政権
真名井出土鏡の問題
碧玉製紡錘車
碧玉製品の性格
短冊形鉄斧
五 河内南部の中期古墳
地域的分布のもつ意味
河南町のツギノキ山
船形埴輪の出土例
寛弘寺古墳群の性格
古市古墳群の分布
天皇陵のもつ意味
大古墳の内容
豊富な鉄器の副葬
鉄器をめぐる問題
金属製品の渡来と馬具
美原町の黒姫山古墳
石川の中期勢力の衰退
六 河内南部の後期古墳
丘陵地帯の後期の古墳
新しい墓制の伝来
中国漢代の崖墓
高句麗の墓制
金剛・生駒西麓の古墳
河南町の金山古墳
石室内の二個の石棺
金山古墳出土の遺物
田中古墳の家形石棺
群集墳と社会的背景
河南町一須賀古墳群
第1号墳の石室と石棺
金銅製遺物とカマド形土器
黄泉国での食事と食器
市内の後期古墳の分布
市域東南部の古墳
市域周辺の後期群集墳
集落遺跡と古墳分布
古墳群の形成期間
西野々古墳群と明八塚
田中古墳群と出土遺物
嶽山古墳群と支群の構成
埴輪をもつ後期古墳
隣接して並ぶ七基の円墳
被葬者の社会的地位
渡来系集団の居住伝承
河内長野市五ノ木古墳
多数の須恵器の副葬
市内の須恵器窯址
須恵器の特色
須恵窯址の分布
南河内の須恵窯址
須恵窯の構造
焼成の特色と灰原堆積
須恵器による編年
須恵器工人の伝承
朝鮮土器の異名
舶載された硬質土器
韓国南部の伽耶式土器
本市域と周辺の窯
七 河内南部の終末期古墳
飛鳥時代と終末期古墳
お亀石古墳の内部構造
石川谷の終末期古墳
大和の終末期古墳
畿内の豪族と古墳分布
河内石川谷の蘚我氏勢力
太子町の聖徳太子墓
切石造の石室と夾紵棺
磯長墓をめぐる問題
築造時期をめぐる異論
石舞台古墳は馬子の墓か
岩屋山式とお亀石古墳
石棺周囲の瓦積護壁
瓦積の平瓦の時期
お亀石古墳と磯長墓
お亀石の立地と豪族
羽曳野市観音塚
新しい系譜の石室
河南町の二石室墳
アカハゲ古墳の石室
塚廻古墳の石室
各種遺物と金象嵌大刀
緑釉陶棺の出土
漆器の起源と伝流
夾紵棺と漆塗籠棺
宮前山古墳の位置
宮前山古墳材石の特色
扉石の前に須恵長頸壺
材石の組合わせの特色
宮前山古墳の年代
南坪池古墳の塼片
古墳石材の供給地
播磨から運ばれた石材
「大坂山ノ石」の発見
鹿谷寺址と岩屋
牡丹洞の石切場
二上山凝灰岩の成因
竜山石と高室石
竜山の石切場
播磨風土記と石の宝殿
水系による石材運搬
家形石棺の研究
家形石棺の三つの画期
お亀石の石棺と南大和型
石棺分布の解釈
石棺石材の同定作業
石材利用と政治的背景
物部氏と蘇我氏の石切場
お亀石と宮前山古墳
二上山白石の利用
正倉院文書と二上山石材
古墳の編年と被葬者
第二節 市内の古墳・遺跡各節
1 廿山古墳
前期の前方後円墳
後円部に排水溝状遺構
古墳の最初の報告
出土遺物の補正
現存する出土遺物
銅鏃の特徴
2 真名井古墳
古墳と調査の経過
墳形・葺石・埴輪
粘土槨の形状
各種遺物の配列
出土の各種遺物
3 美具久留御魂神社裏山古墳群
(1) 第1号墳(前方後円墳)
(2) 第2号墳(円墳)
(3) 第3号墳(円墳)
(4) 第4号墳
4 鍋塚古墳
5 廿山方墳
6 板持丸山古墳
7 板持2・3号墳
古墳の位置と環境
2号墳の外形と構造
2号墳の遺物
3号墳の外形と構造
棺床をもつ墓壙
3号墳の遺物
両古墳の年代
8 彼方丸山古墳
古墳の位置と地形
墳丘の形状と周濠
出土埴輪の特色
本古墳の年代
9 新家古墳・川西古墳
10 西野々古墳群
古墳の位置と外形
外堤部の敷石施設
墳丘の内部構造
埴輪などの遺物
古墳の年代
11 田中古墳群
古墳群の立地と景観
(1) 第1号墳
床面に敷石をもつ石室
各種須恵器の特色
(2) 第2号墳
家形石棺をもつ石室
(3) 第3号墳
排水溝をもつ石室
完存する横穴式石室
古墳の年代と構築順序
12 平古墳群
(1) 第1号墳(前方後方墳)
茶臼山古墳と出土遺物
13 嶽山古墳群
古墳群の位置
群集墳の構成
埴輪をもつ古墳
5号墳の石室
22号墳の石室
田中古墳群との関連
古墳の築造時期
14 彼方古墳
15 お亀石古墳
横口式石棺
棺側の瓦積施設
切石を用いた羨道
出土平瓦の特徴
16 宮前山古墳群
17 錦聖町付近の古墳
南坪池古墳
堂ノ山古墳
大日山古墳
18 中佐備須恵窯址
19 五軒家須恵窯址
第六章 歴史考古学からみた富田林
第一節 市内の古代集落遺跡
分布遺跡と地形区分
水系に沿う集落分布
粟ケ池・中野遺跡
新堂遺跡の遺物
カマド状遺構をもつ集落
瓦片をもつ集落遺跡
新堂廃寺と古代集落址
住居址の調査と遺構
古墳時代の建物の復原
甲田・錦織地区
甲田遺跡の須恵器
新家遺跡と土師器
錦織の遺跡群
錦織廃寺と錦織遺跡
土器片の大量散布
山中田・板持地区
宇奈田川に沿う集落
微高地上の西板持遺跡
遺跡から出た大型壺
彼方・伏見堂地区
陶棺片採集の遺跡
佐備・竜泉地区
佐備郷と佐備神社
別井地区
五世紀の須恵器
第二節 新堂廃寺の創建と百済
一 『日本書紀』と古代村落
集落分布のもつ意味
新堂廃寺の成立と集落
『書紀』に見える集落名
石川百済村と錦織
日羅の来日と暗殺
仏教伝来と寺院の創建
二 仏教の伝来と伽藍
仏教伝来をめぐる問題
四天王寺造営をめぐる説話
百済技術者の渡来
飛鳥寺の伽藍配置
四天王寺の創建
伽藍配置と年代
三 新堂廃寺の復原と年代
新堂廃寺の寺名
新堂大工町の民間伝承
ヲガンジと韓国の寺名
百済時代の烏含寺
新堂廃寺の伽藍配置
一塔式伽藍配置の例
寺院年代と屋瓦の問題
聖徳太子四十六院
遺跡による寺院分布
福山氏の寺址分類
創建時期の編年試論
新堂廃寺とお亀石古墳
ヲガンジ池の地名起源
四 日本と韓国の烏含寺
百済の変遷と扶余
百済烏含寺の創建
烏含寺踏査紀行
烏含寺と結びつくもの
第三節 古代寺院址と瓦窯
一 新堂廃寺と出土瓦
寺址をめぐる地形
屋瓦の堆積と遺構
遺構は白鳳期以降の再建
白鳳期に四棟の建物
四天王寺式か川原寺式か
特異な形状の飾瓦
出土瓦を四期に分類
第一期類の軒丸瓦
記銘瓦と鴟尾
第二期類の軒丸瓦
鬼面文の隅木先覆瓦
第三・四期類の各種瓦
鬼瓦の破片
白鳳期以降の寺院の増加
細井廃寺の瓦当文
錦織廃寺の軒丸瓦
龍泉寺の屋瓦
二 ヲガンジ池瓦窯をめぐって
瓦工の渡来と屋瓦
新堂廃寺の屋瓦と瓦窯
瓦窯の規模と構造
燃焼部にロストル構造
煙出しと瓦の覆い
出土瓦片の特色
対岸にある瓦窯
明日香の瓦窯
枚方楠葉の瓦窯
初期瓦窯の製品供給
新堂廃寺の屋瓦の種類
白鳳期屋瓦と本瓦窯
山田寺式瓦の問題
白鳳期の瓦の背景
第四節 火葬の普及と蔵骨器
一 火葬墓制の成立
火葬の起源と火葬墓
道昭の火葬とその背景
世界各地の火葬
仏教思想と火葬の背景
遣唐使と墓誌の流行
市域内の火葬墓の傾向
土製蔵骨器の諸例
石製蔵骨器の諸例
和同銭を副葬した墳墓
銭貨を副葬した諸例
古代集落と墳墓の分布
二 市内の蔵骨器遺跡
(1) 平第1号墳出土の蔵骨器
墳丘斜面の火葬墳墓
(2) 櫟坂古墓出土の蔵骨器
丘陵中の火葬墳墓
凝灰岩製の蔵骨器
(3) だいだい池出土の蔵骨器
甕形土師器の蔵骨器
(4) 板持出土の蔵骨器
壺形須恵器の蔵骨器
(5) 板持3号墳封土中出土の蔵骨器
甕形須恵器の蔵骨器
(6) 竜泉出土の蔵骨器
二重容器の蔵骨器
古代編
第一章 大化前代の富田林地方
第一節 倭の五王と南河内
一 古代の河内平野
石川と河内平野
神武東征伝説と河内平野
二 倭の五王をめぐって
日本書紀の信頼度
書紀の年代のずれ
倭の五王の比定
古市の応神天皇陵
三 石川と感玖の大溝
感玖大溝・秋山説
感玖大溝と古市大溝
古市大溝・原説
四 丸邇池の築造
丸邇池は粟ヶ池か
南河内と崇神朝
第二節 大化前代の地方組織
一 河内の国造
地方組織の性格
国と県と邑
凡河内国造
二 南河内の県主
紺口県主
紺口県の設営
志紀大県主
三野県主
三 桜井屯倉をめぐって
桜井屯倉の設置
桜井屯倉東大阪説
桜井屯倉富田林説
雌雉田は喜志の地か
第三節 飛鳥朝と南河内
一 大伴氏の栄光と没落
王朝の動揺と大伴氏
大伴金村の栄光
大伴金村の引退
その後の大伴氏
二 推古女帝と聖徳太子
推古天皇の即位
厩戸皇子の新政
太子の墓と小野妹子墓
三 蘇我氏と石川郡
蘇我石川宿祢
蘇我氏本貫をめぐる諸説
蘇我馬子の崇仏
馬子の石川宅仏殿河内説
石川宅仏殿大和説
馬子の墓東条所在説
第四節 大化前代の交通・文化・外来氏族
一 飛鳥京との交通
竹内街道
大和―河内の古道と倉人
河内の近飛鳥
敏達天皇百済大井宮彼方説
二 石川流域の仏教と外来氏族
仏教の公伝と私伝
渡来人の氏寺
百済酒君と石川錦織首
複姓の石川錦織氏
石河股合首と百済池津媛
第二章 律令制下の富田林地方
第一節 大化の改新と壬申の乱
一 大化前後の政治情勢
推古朝から大化へ
乙巳の変と改新詔
孝徳朝の推移
二 蘇我倉山田石川麻呂と茅渟道
蘇我倉山田石川麻呂
石川麻呂と茅渟道
茅渟道について
伝石川麻呂の石棺
三 壬申の乱と南河内
斉明朝から天智朝へ
天智朝と壬申の乱
南河内の戦場
律令国家の成立
第二節 律令制と南河内
一 河内国の石川郡・錦部郡
河内国の一四郡
地方村落の諸学説
史料にみえる石川郡・錦部郡
和名抄の郷名比定
二 律令制と班田農民
家族と口分田
律令制下の農業生産力
班田農民の負担
三 班田農民の生活
農民生活の実態
仕丁の人びと
無カバネ姓の人びと
第三節 富田林の条理遺構
一 石川谷の条里制
条里制
地形図上の分布
文献中の条里呼称
地形と条里
二 条里地割の復原
坪および数詞地名
条と里の呼称・配列
三 条里の施行単位と条里景観
郡界
施行単位の区分
条里景観と機能
第四節 政治の諸相と富田林地方
一 聖武朝と南河内
平城遷都から聖武朝へ
県犬養橘宿祢三千代の死
河内国分寺と智識寺
相つぐ遷都と桜井頓宮
二 大仏造営と東大寺写経所
東大寺大仏と板持真釣
藤原仲麻呂と写経事業
山代忌寸百引
佐伯宿祢諸上
板持連三依
三 奈良朝後期の南河内
藤原仲麻呂の栄光と没落
板持鎌束
道鏡政権と河内西京
光仁朝から桓武朝へ
第五節 交通と氏族・文化
一 天平の交通
竹内街道その後
大野寺土塔をめぐるつながり
二 墓誌にみる南河内の文化
墓誌の文化と船首王後墓誌
山代忌寸真作の墓誌
高屋枚人墓誌・紀吉継墓誌
威奈大村墓誌・采女氏塋域碑
墓誌にみられる二・三の特徴
三 天平の氏族
人麻呂塚の伝承
奈良時代の人びと
錦部氏・山代氏
調日佐足麻呂など
第三章 律令制の崩壊と富田林地方
第一節 律令制から貴族制へ
一 律令体制の動揺
平安時代の区分
政治の推移
経済の推移
二 平安初期の氏族・文化・交通
氏族の変化
霊異記にみる石川の沙弥
伝燈大法師善議
聖の輩出
錦織新別所の覚明房
信仰と交通路
第二節 石川郡・錦部郡の式内社
一 式内社の概観
式内社とは
式内社の制度
式内社と民衆
式内社と在地豪族
二 石川郡・錦部郡の式内社
河内国の式内社
石川郡の式内社
<咸古神社>
<咸古佐備神社>
<佐備神社>
<美具久留御魂神社>
<大祁於賀美(おおけおかみ)神社>
<科長神社>
<建水分神社>
<鴨習太神社>
<壱須賀神社>
錦部郡の事情
<錦織神社>
<板茂神社>
<春日神社>
三 龍泉寺抄史
伽藍の配置
春日神社文書より
三代実録と元亨釈書より
第三節 中世への胎動
一 土地制度の変化
職田・諸司田の変質
その後の諸司田
二 武士の発生と展開
武装者の出現
河内源氏三代
八幡太郎はおそろしや
その後の河内源氏
あとがき
[奥付]