[口絵]

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真名井古墳出土の三角縁三神三獣獣帯鏡 大阪大学文学部
(上) 象化石(1号・2号切歯)産出状態,手前が1号切歯
(左) 東南から見た産出地点(羽曳野丘陵)全景
(上) 西方から見た伏見堂・横山 A伏見堂遺跡、B錦織南縄文晩期遺跡
(下) 錦織南遺跡出土の縄文晩期土器(大洞C式) (大阪府教育委員会提供)
喜志遺跡の弥生中期集落遺構の空中写真,土壙(中央および上部),井戸(上縁中央の半円形陰影部分),溝(左上・中央および左下)と各種ピット群,’79-1区 (大阪府教育委員会提供)
明治三六年に板持丸山古墳から出土した当時作られた拓本と記録。富田林市東板持の仲野カルヲ氏宅に保存されているもので、東京国立博物館にある銅鏡について確実な出土を証明する点で貴重な記録といえる。       仲ノ丑松ゟ文造かり 目方  百〇四匁     三十六年  二月一日  丸サ五寸三分  あつさをよそ二分三厘ほト やくしよ上け日二月五日
富田林市域中心部(1969年) 遺跡,条里地割の分布については付図を参照すること
経師筆墨直充帳   正倉院文書 天平宝字2年、板持御依が東大寺写経所で経師を勤め、筆墨を買う費用を給されている。
続日本紀   宮内庁書陵部所蔵谷森健男氏旧蔵 天平宝字7年10月6日条に板振(板持が正しい)鎌束は渤海よりの帰途に人を海に投げ、獄に入れられたと記される。