大阪層群の形成

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第一瀬戸内海が消滅した後、約五〇〇万年以上にわたって陸化していたこの地域は、ふたたび沈降をはじめ、約六〇〇万年前から五〇〇万年前になると、九州から瀬戸内海、伊勢湾にかけて東西に細長い第二瀬戸内海(5)が形成されはじめる。この間、すなわち第三紀鮮新世後期から更新世初頭にかけての約一八〇万年間、大阪付近は湖であったと推定されている。その後の地盤の変動につれて第二瀬戸内海の形も変わっていった。氷河時代ともいわれる第四紀更新世(洪積世)に入ると、氷河の消長により海水面が上昇と下降を繰り返すが、海水面が上昇した時期には、大阪付近では紀伊水道から海水が浸入し、大阪盆地だけでなく奈良盆地や京都盆地にまで広がる海(湾)ができた。また海面が低下すれば、これらの地域は湖となったのである。

 さて、羽曳野丘陵における大阪層群は、どのようになっているのであろうか。この地域の大阪層群は、層厚が一五〇メートルあまりで、Ma1と名づけられた海成の粘土層の下部から、Ma8という海成粘土の上部までの地層が堆積している。なお、Maというのは、大阪層群中の海成粘土層をあらわす記号で、下層から上層へとMa0・1・2……10までの一一枚の海成粘土層に区別されている。羽曳野丘陵では、Ma1の下限より下には砂礫層の優勢な淡水成地層、Ma1からMa5までは、海成粘土と淡水成砂礫層の互層、Ma5より上部は淡水成の砂礫層が優勢で、その間は薄い海成粘土をはさむ地層となっている(吉川周作「大阪東南部の大阪層群」『地質学雑誌』七九―一)。富田林市付近の羽曳野丘陵では、丘陵のほぼ東半分にMa3より下部の地層、西半分にはMa3より上部の地層があらわれている(付図参照)。その理由は、この地域の大阪層群が全体に西に低く傾いているため、地表に高くつき出ている東側では、浸食作用により上部の地層が削り取られたためである。