富田林市域の主要部分といえば、西の羽曳野丘陵、東の金胎寺山・嶽山などにはさまれ、石川に沿って南西から北東に長くのびる低地帯であり、そこは古くから人間活動の中心であった。石川は、古来富田林に住む人びとと深いかかわりを持ち続けてきた。今日その水が上水道や農業用水として、市民の日常生活と切りはなせない関係にあることはいうまでもないし、江戸時代には、石川が富田林と大阪を結ぶ水運にも利用されていたことはよく知られている。
和歌山県と大阪府の境界をなす和泉山脈に源を発した石川(13)は、加賀田川・天見川と、金剛山から流れ出る石見川とを河内長野市内で合わせ、富田林市へと下る。
富田林市では、川向付近で佐備川を、北大伴付近で東条川を、いずれも右岸に合わせ、喜志を経てさらにいくつかの支流をあつめ、最後は、柏原市と藤井寺市の境界で大和川に合流する。
源流から大和川合流点まで約三四キロの延長をもつ石川は、けっして大きい河川とはいえない。しかし石川は前述のように沿岸に住む人びとの生活と古くから深いかかわりをもつと同時に、また石川谷の地形とも密接な関係があることを忘れてはならない。